バイトのきっかけ-1
「ほい、ランチBセットな!」
出来上がった料理をマスターがカウンターに置いていく。
あたしはそれを受けとると熱いうちにと注文客へ運んで回っていた。
「なんか込んで来たわね〜ここも…」
「ミニスカ効果効いてるって感じか?はは!」
「そうね?言ってる本人に一番効いてそうね?」
「…ぶっ!──」
相変わらずの掛け合い。カウンター常連の春姉の一撃に高田さんは口にしたガーリックチキンを吹き出していた。
「やー!?ちょっとニンニク飛ばさないでよっ!?」
高田さんの口から散らばったガーリックチキンの刻みニンニクがそこら中に飛んでいる。
春姉はバッチイ物でも払うようにしてナプキンで拭いていた。
「春姉、コーヒーお代わりいる?」
「貰うぅ〜…あたくしに断る理由なんかなくてよっ」
「なんで貴族風?」
カウンターに来たついでにランチ後のコーヒーを進めるあたしに、春姉は髪を掻き上げ歌劇団のように椅子から立ち上がりコーヒーカップを差し出した。
カウンターに置いた方が注ぎやすいんだけど、煽ると何を言い出すかわからない。
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取り合えずあたしは火傷させないように慎重にコーヒーを春姉の手持ちのカップに注いであげた。
「下がってよろしくてよっ」
「はは、春子さんそれ何様?」
普段のキープ席が混雑で埋まっていた為に高田さんは春姉の隣に座って遅めの昼食を取っていた。
大人しく椅子に座った春姉の隣にいた高田さんのカップにもあたしはコーヒーを注ぐ。
「地元はどうだった?」
高田さんはオシボリで自分が散らしたテーブルを拭きながら言った。
「いつもと一緒、居酒屋でガッツリ飲まされちゃった…酒豪を潰せっ〜!て」
「晶ちゃん強いもんね〜」
春姉と会話しながらカウンターに入る。
昼を少し過ぎれば喫茶店の混雑は直ぐに治まる。
「酒豪潰すには飲み放題が打ってつけだな」
厨房の片付けを粗方すませると奥からマスターが出てきた。
「春の花見は晶にやられたからな〜」
「いい酒は水の様に体に入っていく…」
あたしの一言にマスターは怨めしげな視線を向けていた。
店での花見で限定の大吟醸だと見せびらかしたマスターの酒を、あたしは根こそぎかっ浚ったのはまだ記憶に新しい──
「高田ちゃんは真っ先に潰れちゃったもんね〜…」
「よく言うっ!?人が知らない間にバクダン仕込んだのはどこの家老だっけ!?」
高田さんは春姉に反論している。
・
社会人の飲み会は結構えげつない──
てか、春姉の時代の飲み方はある意味可愛がりの洗礼が当たり前だ。
高田さんがトイレに立つ度に春姉は高田さんのビールに白酒ぱいちゅう(中国酒68℃)を少しずつ仕込んでいた。
「そ〜んな怒らないのっ!お気にの誰かさんにお酌されてデレデレしてたのは誰だったけ?」
春姉に高田さんは肘で激しくウリウリされている。
その攻撃に高田さんは顔をしかめた。
「春子さん肘痛いっ…」
「そう?鍛えてるから」
「なんで肘なんか鍛え…」
「年取ると肘から弱るって言うじゃん」
「それ膝じゃん?」
「だっけ?」
結構、いい加減(良い加減)な生き方をしてるからこの人は若いのかも知れない。
43歳。今だ独身──
でも独り身を大いに謳歌してるこの人は意外にあたしの尊敬する部類に入る……
マスターやママの人柄もあるけど、あたしはこのどうしようもなく明るいカウンター常駐の常連さん達があってここにバイトに来るようになったのだから。
春姉はあたしにとっての元気のスパイスでもある。
何を隠そう、あたしを高槻との失恋から救ってくれたのもこの春子姉なのだから…
・
失恋の寂しさと虚無感からあたしは多恵ちゃんの大学進学にフラッと着いてきて、上京しても何もやることがなくただフラフラとしていた…
生活費の為、間に合わせのバイトをしながらの就活。
不況のせいか、正社員雇用の枠は少なく中々決まらない。
正直行って就活自体が時間を食い生活の仇になっていく始末だ。
ため息ばかりが口から出る…
そんな時、ふとここの看板が目についた。
喫茶「和らぎ」
木目調の優しい色合いの看板にその店名がとても合っていて、あたしは惹かれるようにここに足を踏み入れていた。
店の周りにはささやかなガーデニング。
店全体がホッとした空気に包まれている……
ガラス張りの席から見える小さな花壇。一番隅のテーブル席があたしのお気に入りだった──
何度か通う内に店の雰囲気にも馴れて、聞こえてくるカウンター席での聞きなれた喧騒のような話し声に耳を傾ける。
いつも楽しそうなその席はあたしの寂しがりな心を充分に和ませてくれていた。
仕事が決まらない不安と失恋の痛手から中々抜け出せないあたしの表情はとても暗く──
それが春姉には気になって居たらしい。