DILEMMA-2
もう、田村とは別れよう。
「いらっしゃいませぇー」間延びした店員の声が聞こえてきて、美香はバッグを持って席を立った。
拓巳が来たはずだから。
入り口に行くと、ぼさぼさ頭で長袖のシャツとたるんだスウェットを穿いた拓巳が待っていた。
申し訳なさで目を見ることができなかった。そんな美香に拓巳は優しく笑いかける。
ココアの代金は拓巳が払ってくれた。
「帰ろう」
低めの声で言う。右手は拓巳の左手に包まれて、美香はその手に自分の指をからめた。
店を出て、拓巳の黒いカレンを見つけて助手席にまわる。
車内は拓巳のつけているスカルプチャーの香りが相変わらず充満していた。
「俺んちでいい?」
それは質問ではなく確認だった。美香は短く肯定の返事をした。
ふと、窓の外を見たら、見覚えのある黒のスカイラインが駐車場に入ってくるのが見えて、まさかと思い、美香が窓に張りつくようにして身を乗り出した瞬間、拓巳の運転するカレンが車道に出てしまった。
スカイラインからドライバーが降りたのを確認したのを最後に、車は右折し、それ以上は見ることができなかった。
でもあのスカイラインはきっと、田村のはずだ。
なんで今頃くるの?
遅れて来るなら連絡してくれてもいいじゃん
――あたしはもう拓巳と一緒にいるのに……
「美香」
「えっ?」
田村のことを考えていたら突然名前を呼ばれて、美香は思わず声を裏返らせてしまった。
拓巳は赤信号に差し掛かるとハンドルから手を離し、美香の方を向いて、あの低い声ともにゆっくりと口を開いた。
「…お前、もう、あいつとは会うなよ」
真っすぐな視線。
はっきりとした口調。
「俺にしとけよ」
ぼさぼさ頭の拓巳の顔が近づいてきて、優しくキスをする。
拓巳が離れた瞬間、美香の両手の中で携帯が小さなバイブ音をたてて震えた。
サブウィンドウには『田村久司』の名前が表示されている。
「……ごめ…」
小さな声で美香はつぶやいた。
涙のせいで最後まで言葉がでなかった。
携帯は鳴り続ける。
自分がどうしていいのか分からない。
赤から青信号に変わったのか、カレンは低いうなり声をあげて再び動きだす。
「出んなよ、それ」
前を向いたまま、拓巳は、未だに細かく震え続ける携帯を握り締めた美香の両手の上に、自分の左手を重ねた。
「…出んなよ」
二度目のその言葉を紡いだ拓巳の声は、どこか震えているような気がして、美香は拓巳を見ることができなかった。
携帯は、鳴り続ける。
涙は止められなかった。