狂乱の夜-8
――シホの勤める病院内――
やけに静かだった。
だだっ広い病院のロビーの中。
救急指定だから、天井にわずかばかりの灯りが残されている。
ひとの姿はなかった。
シゲさんとオレだけが、この世界から取り残されたように、ぽつんと待合室のイスに座り込んでいた。
ぐびり、と隣りでコーヒーを飲み干す音が、ひどく耳障りでならなかった。
シゲさんが静かに語ってくれた真実。
シホが少女売春?
コトリが近親相姦の果てに産まれた子供?
んなアホな。
シゲさん、冗談はやめようぜ。
だってシホとコトリだぜ?
あの天然スチャラカコンビだぜ?
だって、あいつ等あんなに嬉しそうに笑うんだぜ?
だって、あいつ等オレのために、あんなに尽くしてくれるんだぜ?
だって、あいつ等……だって……だって……。
自分でも泣いていることに気付かなかった。
「辛いだろうが、それが真実だよ。」
そんな真実……聞きたくねえよ……。
俯くしかできなかった。
見る間に広がっていった足元の溜まり。
涙どころか鼻水までがボタボタ垂れていた。
「シゲさん……シホって……幾つなの?……」
途中から……歳なんか、わかんなくなっちゃったよ。
あいつ、いったい幾つなんだよ?……。
「いま、二十歳だ……。11歳でコトリちゃんを産んで、それから9年が過ぎた……。」
「はは……11歳って……。」
いまのコトリとふたつしか違わねえぞ。
いつからこの国は、そんな子供の出産を許すようになった?
「う、嘘でしょ?……そんな歳で……こ、子供なんか……産めるわけないよね?……。」
声が震えていた。
声だけじゃない。
手足までが震えていた。
「絶対に不可能、ってわけじゃない。俺が児相にいる間も、やはり12歳の少女が出産した例がある。」
「なんで……産めるんだよぉ……。」
「普通なら無理だ。自分の命に関わってくるからな。今言った少女だって、徹底した病院側の集中管理の下でやっと出産できたんだ。」
「じゃあ、シホも?……。」
シゲさんは、顔を俯かせた。
「あの子は……自分ひとりだけで産んだ……。」
苦しそうな声だった。
「ひとりって……なんでひとりなんだよ?どうしてシホは、コトリをひとりで産まなきゃならなかったんだよ?なんであいつがそんなひどい目に遭わなきゃならないんだよ!!!?なんでだよっ!!!!」
何がなんだか、わからない。
今も隣りで語るシゲさんの言葉が、現実のものだなんて思えない。
「落ち着けタカ!」
肩を掴まれていた。
「なんで……シホが……シホが、そんな目に……。」
涙はどうしようもないまでに溢れて、止まらなかった。
あんなに可愛い女なのに、想像もできない地獄の中で生きてきた。
11歳で自分の父親の子供を身籠もり、たったひとりきりでコトリを産んだ?
命がけの作業を、たったひとりでやり遂げた?
あいつはどんだけバケモンなんだよ?
ハハ……。
あいつがどれほど可愛らしく笑うのか、知らねえだろ?
子供みたいに無垢な笑顔で笑うんだぞ……。
それこそ、天使みたいに可愛い笑顔で笑うんだぞ……。
たまに変身するけど、それだってな……!
突然、脳裏をよぎった蒼白な顔。
か、かい離……してたのか?……。
あいつが時々変身していたのは、精神の均衡を保つために人格を入れ替えていたから。
つらい過去のトラウマから逃げ出すために、あいつは別の人格を使い分けて精神崩壊を免れていた。
ならば、あの豹変した姿も頷ける。
多重人格とまでは行かないまでも、シホの中には確かにもうひとつ別の人格が眠っている。
そして、その人格は……。