心の傷-5
「今のところ、これと言った異常は見つかりませんでした。しかし、念のために、今夜はここに泊まっていった方がいいでしょう」
救急搬送室から出てきた医師は、簡単にそう告げると、軽く頭を下げて暗がりの廊下を歩いていった。
コトリがストレッチャーで救急搬送室から運び出されてくる。
「コトリ……。」
「今、鎮静剤で眠ってますから……。」
ストレッチャーに駆け寄るシホを諫めるように、看護師が言った。
コトリは穏やかな顔で眠っていた。
看護師は、応急処置室前を通り過ぎて、ストレッチャーを一般病棟へと押していく。
応急処置室に運ばないということは、それだけ心配が少ないということだ。
取りあえず、ほっと安堵に胸をなで下ろす。
シホは、コトリが治療を受けている間、ひたすら、祈りつづけていた。
組んだ両手を額の前であわせ、涙を流しながら。ずっと身体を震わせていた。
とても、何かを話せる状況ではなかった。
コトリが、一般病棟の個室に運ばれ、ベッドの上に寝かされると、ようやく安堵したのか、シホの顔にも赤みが戻ってくる。
それまでは、死者のように蒼白で、まるで魂を失ったかのような顔だった。
シホが、コトリの小さな手のひらを握る。
「コトリ……、コトリ……」
ささやくように呼びかける。
コトリは鎮静剤が効いているのか、かすかな寝息を聞かせるだけで、身動きひとつしない。
「いったい、何があったの?……。」
コトリの顔を見つめながら、ようやく訊ねてきた。
声に、非難の色はなかった。
「まったく、わからないんだ。急に白眼を剥いて、倒れた……。」
「どこで?……」
「オレの友達のマンションだ。」
「友達の……マンション?……。」
それまで、コトリを見つめていた顔が振り返る。
「どうして、そんなところに?……。」
「ちょっと、そいつの所に用事があってね。コトリもいたから、一緒に連れてったんだ。」
「そこで、倒れたの?」
「ああ、1階のエントランスで急に倒れた。……今まで、こんな風に倒れたことは?」
今度は、オレが訊ねていた。
「いいえ、一度もないわ……。」
そうか……今回が初ってわけだ……。
「ねえ、ちょっと訊きたいことがあるんだけど、いい?」
「なに?……。」
オレの挑むような訊ね方に、シホの瞳の中に、わずかに不安の色が混じる。
「前、コトリちゃんに聞いたんだけど、シホたちって、4年前にこっちへ引っ越してきたんでしょ?」
「え?え、ええ……。」
「その前って、どこに住んでたの?」
「それが……コトリが倒れたのと、何か関係あるの?」
「いや、そうじゃないけど……。」
実は、大いに関係がある。
コトリは、女の子を知っている、と言ったあとに、倒れた。
女の子とは、あのビデオの中に映っていた少女に間違いないだろう。
レンの話しでは、あのビデオは、東北地方で創られたものだという。
もし、シホたちが、以前に東北に住んでいたのなら、コトリとあの女の子に接点があってもおかしくはない。
ならば、コトリがどこで、あの女の子を見たのかわかりさえすれば、キョウコの居所もわかるのではないか。
そして、コトリが倒れた原因も……。
オレは、そう考えていた。
だが、あのビデオのことをシホに告げることは出来ない。
コトリに、そんなビデオを見せたなどとわかった日には、何をどう勘ぐられるかわからない。
コトリに直接確かめてもいいが、過去の記憶が曖昧すぎる。
とても詳しい住所まで覚えてるとは思えない。
それに、あの女の子の話をしたら、また、ひきつけを起こして倒れるかもしれない。
原因がわかってないのだから、迂闊なことを口にすることは出来なかった。
「できれば教えてもらえると、ありがたいんだけど……。」