心の傷-2
コトリの目がひっくり返った。
急に白眼になり、何かの支えを失ったように、小さな身体はいきなり倒れた。
「コトリっ!!!!!!!」
ひきつけを起こして、身体がけいれんしている。
歯をガチガチと鳴らしながら、口の端から白い泡沫状のヨダレが溢れていく。
マズイッ!
慌てて、コトリの身体をエレベーターの外に引っ張り出した。
自分のシャツを引き裂き、コトリの口の中に収まる程度に丸める。
「コトリッ!!しっかりしろ!!!」
何度も呼びかけてみたが、意識が戻らない。
このままだと、舌を噛み切る危険がある。
クソッ!仕方がねえ!
額とアゴを掴んで、無理に口を開かせた。
だらりと舌が、伸びてくる。
もう、手を離すことは出来ない。
「誰か!!!誰か、いないか!!!」
両手で口を開かせているから、シャツを口の中に突っ込むことが出来ない。
誰かの助けが必要だった。
「誰かいないか!!!」
勢いよくドアの開く音がして、慌ただしく足音が近づいてくる。
「どうしました!?」
管理人か!?
「悪いけど、そこに丸めてあるシャツを、この子の口の中に突っ込んでくれ。」
「引きつけかい!?」
「たぶん、そうだ!」
「だったら、棒の方がいい!今、部屋に戻って探してくる!」
初老の管理人は、こういったことに慣れてるらしい。
シャツでは、気道をふさぐ危険がある。
それを知って、彼は棒を探しに行ったのだ。
すぐに彼は戻ってきた。
「これを口に挟もう!」
手に割り箸を握っていた。
3本の割り箸を、輪ゴムでひとつにまとめてある。
やっぱり、慣れている。
1本ぐらいでは、たとえ子供と言えど、簡単に噛み砕いてしまう。
それほどに、けいれんしたときの人間のアゴの力は凄まじい。
現に、コトリのアゴを支えるオレの腕が震えるほどだ。
「指を入れないように。」
割り箸を噛ませるには、まず、伸びた舌を口の中に戻さなければならない。
その作業を指でするのは厳禁だ。
うっかり間違って、アゴを支える手が外れたら、間違いなく指を噛み切られる。
初老の管理人は、小さく頷くと、まず、割り箸を使って、コトリの長く伸びた舌を口の中に戻していった。
割り箸を挟めるまで戻したら、今度は、その割り箸を真一文字にコトリの口に咥えさせていく。
ゆっくりと額とアゴを支える手の力を緩めていくと、コトリの歯が割り箸を噛み締めた。
これで、ひとまず大丈夫だ。
「すいません、救急車をお願いできますか?」
コトリの震えは小さくなっていた。
おそらく、このまま小康状態となり、やがて震えは止まるだろう。
だが、安心は出来ない。
原因が、わからないからだ。
コトリに、テンカンの持病はない。
原因がわからないからには、このままアパートに連れて帰ることは出来ない。
「すぐに呼ぶから、待ってておくれ。」
管理人は、慌ただしく部屋へと戻っていった。
アンタが居てくれて助かったよ。
レンを呼ぶことも考えたが、アイツじゃ、たぶん役に立たなかったからな。
ほんとに感謝します。
オレの宝物を守ってくれて……。
やがて、救急車のサイレンが聞こえてきた。
オレとコトリは、管理人と、その頃には、騒ぎに気づいて集まってきた何人かの野次馬に見送られ、降りしきる雨の中を病院へと向かった。