ふたりの過去-8
「あの親子を監視しろ。」
……………………。
はぁッ?
オレの耳、壊れたか?
今、監視って言ったよな……。
確かに、そう聞こえたんだが……。
「監視……って、いったいどういうことですか!?」
「言ったとおりの意味だよ。あのふたりを見張るんだ。」
シゲさんは、何食わぬ顔。
出歯ガメですか?
今は、もっとすごいのに発展してますが……。
「どうして……です?」
「今は、理由は話せない。だが、あの親子の動向を監視する必要があるんだ。何も言わずに引き受けてくれないか。こんな事、お前にしか、頼めないんだ。」
事態が切迫しているような言い方だが、シゲさんの声は、いたって冷静だ。
「理由が話せないって…………。」
いきなり、ふたりを監視しろと言われたところで、はい、そうですか、と肯けるはずがない。
人が何かをするためには、動機が必要だ。
「ふたり共ですか?」
ひとりは、れっきとした仕事を持つ勤め人。
もうひとりは、学校に通う女の子。
生活パターンの違うふたりを、ひとりで同時に監視することはできない。
「できれば、ふたりまとめてがいいんだが、無理なようならば、母親の方だけでもいい……。」
「シホ……さんの方?」
「そうだ、あの母親の方だ。」
「いったい、あのふたりに何があるんですか!?」
まるで狐に摘まれたような話しだ。
いきなり人を呼びつけておいて、あのふたりを監視しろってか?
「お前が納得できないのは、わかる。だが、あのふたりは、とにかく監視する必要があるんだ。それも、早急にだ。今のところ、その役に一番適しているのは、タカ、お前なんだよ。」
そりゃ、特命ですか?
テレビの番組に、特命係長ナントカってのがあったけど、オレは、ただのぺーぺーですが…………。
「だから、どうしてあのふたりを監視する必要があるんですか?」
少し口調がきつくなっていた。
シゲさんは、深いため息を吐いて、ソファにもたれかかっていく。
「タカ……何も聞かないで、やってくれないか?」
懇願するような声に聞こえる。
だが、オレには、それが最後通牒のように聞こえた。
この人は政治家だ。
ダメなら、次の手段を必ず用意している……。
しばらく無言の圧力をかけてみた。
だが、やっぱり、シゲさんには通用しそうにない。
目を逸らそうともしないで、まっすぐにオレの目を見据えてくる。
「うまくできるか、どうかはわかりませんが、取りあえずやってみますよ。」
結局、根負けしたのはオレだった。
シゲさんが、笑った。
いつものニヒルな笑みだ。
「話しは、それだけですか……?」
「ああ。」
「じゃあ、仕事に戻ります…………。」
まだ、納得はしていなかった。
だが、ゴネたところで、これ以上シゲさんの口から何かが期待できるわけでもない。
「とにかく、どんなことでもいい。何かおかしなことがあったら、夜中でもかまわないから、すぐに報告してくれ。」
小さく頷いた。
「タカ、ありがとう……。」
立ち上がろうとしたところで、シゲさんが微笑む。
返す言葉も見つからなくて、そのまま背を向けた。
「タカ……。」
ドアノブに手をかけたところで、もう一度呼ばれた。
振り返った。
さっきまでとは、打って変わって、今度は、ひどく鋭い眼差しがオレに向けられていた。
「あの女には、気をつけろ……。」
四角い銀縁眼鏡の奥で、野心家の瞳がギラリと光った……。