ミヤコの願い-3
「い、引退って、ミヤコおばあちゃんて、もう一線を退いてるじゃない」
ミヤコの言う引退が、そんなことじゃないと理解しながらマミはそう反応した。
「うふふ、本当に引退してたら、私欲でこんな実験の指示なんてできないでしょ。一切のことから手を引いて、後はケイコちゃんとユイちゃん、それにマミちゃんに任せるわ。こうして頼りになる若いスタッフもいるしね。だから、普通の人に戻ってタダシくんと余生を過ごそうと思うの」
「そ、そんなのダメだよ。ミヤコおばあちゃんが居ない【O−CLUB】なんて意味ないよ」
うっすら目に涙を浮かべてマミが訴えた。口を挟める立場のないハルマも強く頷いた。
「そ、そうよ、お母さん、考え直してよ」
俯いていたケイコも、マミの力を借りてミヤコに翻意を促した。しかし、ミヤコはそれを軽く受け流した。
「ケイコちゃんは気付いてたんでしょ。あなたも同じだもの」
「気付いてたって、どういうことなの?」
マミがケイコの腕を取って揺さぶった。しかし、ケイコは顔を伏せて答えてくれず、それをミヤコが代わりに答えた。
「あのね。あたしたちがサークルを作ってから何十年も経つのよ。初期の人たちは一部を除いてほとんど居ない。脱退して連絡の取れなくなった人も居るし、亡くなった方もいらっしゃるわ…」
ミヤコはその人たちを偲ぶように、一拍間を置いた。
「でもね。あたしたちだけが何も変わらないのよ。あたしたちだけが。これってどうかしらね?って思うのよ」
「でもそれって、容姿のことだけでしょ。みんなから昔のことを聞いたよ。ミヤコおばあちゃんは元々専業主婦で、こんな大きな会社の経営から程遠かったって。でも、その時々の立場に合わせて、自分を成長させ続けてたって。ケイコおばあちゃんも同じだよ。元々凄く引っ込み思案だったけど、自分を変えて、みんなに気を配って、元気付けてくれる人になったって」
マミはミヤコやケイコが自分よりも、他者のことを考え、明るく元気付けながら、共に成長していった話が好きだった。確実に成長し変化してるはずなのに、それを本人が否定するのを聞きたくはなかった。
「それは誰もがその立場になればそうするものよ。あたしが特別じゃない。みんな同じなのよ」
しかし、マミはそれには納得できなかった。
「それは違うよ、今もそうだよ。例え私欲だとしても、タイムマシンを作ろうとする発想も行動力もミヤコおばあちゃんだからこそだよ」
ケイコもマミと同じ思いだ。例え【O−CLUB】を託されたとしても、ミヤコほどのバイタリティーが無い自分には、ミヤコの替わりは到底無理だと自覚していた。
カリスマが一代で築いた企業には脆さがある。それを理解する聡明さを持つケイコだったが、自身にもミヤコに負けないカリスマ性があることは自覚していなかった。
ミヤコの様子が変化してから、ピンときていたケイコ自身も、引退のことを考えることが多くなっていた。
(お母さんが引退するならあたしも…)
毎回、そんな結論に達したが、かといって、全てユイとマミに無責任に押し付けるほどのいい加減さもなかった。だからミヤコの【引退】の言葉は、ケイコにはとても重かった。マミが【O−CLUB】に入り、新しい体制が整うまで、10年、それが無理ならせめて5年は時間が欲しかった。
聡明なマミには、そんなケイコの感じる重さが、なんとなくわかったのだ。
「だからミヤコおばあちゃんには…」
マミが続けようとした言葉を、ミヤコは抱き締めることで封じた。
「こんな優しい曾孫が居る。考えてご覧なさい、もう3代先まで後継者ができたのよ。もういいんじゃないかな、少し休んでも」
耳元に聞こえるミヤコの言葉は優しげだったが、その中にはいつもの芯の強さが感じられなかった。
「おばあちゃん…」
もう言葉が出てこなかった。
そこへ、ブースの外からスタッフが声を掛けてきた。
「ミヤコさん、転移装置の電力供給の値があと60秒で目標値に達します」
「わかりました。直ぐいきます」
ミヤコは外に向かって返事をしてから、改めて自分の決意を口にした。
「もう決めたことだからね。さあ、歴史的瞬間よ。みんなで見届けてくれるかしら」