策略-1
8
「パパ、やっぱり怖いわ・・本当に大丈夫なの?」
父の派遣が決まって以来、母は同じ不安を何度も口にした。
「心配ない。今はまだ不安定な情勢だが、いずれはこの騒ぎもおさまる。それに、うちの支社があるのは、あの国で一番のオフィス街だ。治安だって保たれているし、政府も警戒には力を入れている。お前が心配するようなことはなにもないから安心しろ。」
日頃は寡黙な父が饒舌になっていたのは、おそらく父がいうほど安全ではなかったからだ。
少しでも家族を心配させまいと、気を使っていたのだろう。
「でも・・・。」
「もう、この話は終わりだ。お前が怖がってばかりいたら子ども達だって不安になる。心配することなどなにもないから黙って飯を食え。」
久しぶりに一家4人で夕食のテーブルを囲んでいた。
日頃は帰宅の遅い父も、長期の派遣とあって、この2日間はその準備をするために早くから家に帰っていた。
「ねえ、今からでも他の人に変わってもらうことはできないの?」
母は、最後まで納得できないようだった。
「バカなことをいうな。今さら人員を変えることなどできるものか。そもそも俺が行かなければプロジェクト事態が先に進まないんだ。そのための派遣なんだぞ。」
会社からの命を受けて派遣が決まった日、家に戻ってきた父が母に告げた行き先は、国内ではなくて国外だった。
父は、さほど気にも留めていなかったらしく、淡々とした口調で派遣される国の名を母に教えた。
国名を聞くなり、母は顔を青ざめさせた。
つい、この間も、その国の名をニュースで聴いたばかりだった。
今でこそ扱いも小さくなってきたが、その国で起きた事件は未だに余韻をひいて、ときどきはニュースでも流されている。
自爆テロ。
父の派遣先となった東南アジアの新興国は、日本の援助などもあって見事な経済成長を遂げたものの、未だ政情は不安定で、政府とそれに反対するゲリラ組織のあいだで、血で血を洗う抗争がつづけられていた。
中でも自爆テロは政府を脅すための有効な手段と位置づけられ、2週間前にも首都にあるレストランが木っ端微塵に吹き飛ばされ、罪のない人々が犠牲になったばかりだった。
30人ほどが亡くなり、中には父の会社から赴任していた社員も含まれていた。
その代わりの要員として、急遽、父に白羽の矢が立てられた。
「だったら、せめて期間を短くしてもらうように頼むとか・・・。」
そんなところへ父が派遣される。
派遣期間は、半年間。
半年ものあいだ、母は父を気遣い、心配しながら脅えて暮らさなければならない。
母が懇願するのも、無理はなかった。
普段は陽気で脳天気だが、実は寂しがり屋で臆病なところのある母だった。
タケルが成長すると頼るようにもなったが、やはり、一家の大黒柱が不在になるのは大きな不安らしい。
しかも、そこは死と隣り合わせの場所ときている。
「無理だといってるだろう。もう、よせ。この話は終わりだ。」
父は不機嫌な顔になって茶碗をおいた。
「だって・・・。」
いよいよ出発が明日に迫っている。
なんとしても行かせたくない思いが母の表情に強く滲んでいた。
思いが強すぎたのか、じわじわと顔を歪めていった母は、茶碗を持ったまま泣き出した。
それを見つめていたミナまでもが、唇を震わせて泣き始めた。
「ねえ、父さん。」
タケルは、目の前で泣いているふたりをチラリと横目に見やりながら、その視線を父へと向けた。
父の派遣が決まってから、ずっと考えていた。
「なんだ?」
腰を浮かしかけていた父が不機嫌な顔で振り返る。
タケルは、笑いを殺すようにいった。
「母さんも一緒に連れて行けば?」