『月陽炎~真章・銀恋歌~』-9
『あ……えっと……』
『どうしたの?あら……あの人とお知り合い?』
一緒にいた少女が柚鈴の様子に気付いて、不思議そうに悠志郎を見た。
『ご、ごめん……私、今日は帰るね』
『あ、柚鈴ちゃん?』
少女が問う間もなく、柚鈴は彼女と悠志郎にペコリと頭を下げると、母屋の方へと走り去ってしまった。
……立ち去るのが遅かったようですねぇ。
悠志郎は自分の迂濶さを呪った。
邪魔をしないようにと思ったのだが、結果的には彼女たちの楽しい時間を奪うことになってしまったようだ。
境内には、悠志郎と柚鈴の友人らしい少女が取り残された。
やれやれ……と肩をすくませてみせると、少女は意外にも悠志郎に向かって近寄って来た。
人懐っこい笑顔と、ハイカラで知的な感じのする衣装が印象的な娘だ。
『こんにちは』
『こんにちは、柚鈴さんのお友達ですか?』
『はい、幸野双葉(ゆきのふたば)と申します』
『私は嘉神悠志郎。秋祭りまでの間、ここのお手伝いをさせて頂いてます』
『あ……そうなんですか。小父様が身体を壊してしまってから、鈴香さんがひとりで切り盛りしていましたものね』
悠志郎の素性が分かると、僅かに感じられた警戒の口調が消えた。
いや……というより、むしろ喜んでいるようにも見える。
『それにしても、どうして私に声を?』
『大事な話し相手を誰かさんのおかげて逃がしてしまいましたから』
『おっと……これは手厳しいですね』
友人だけに、柚鈴の対人恐怖症については知っているようだ。
悠志郎が苦笑すると、彼女……双葉はくすっと表情を和ませた。
『冗談ですよっ。本当は嘉神さんに興味があるからです』
『私にですか……それは何故に?』
『ん〜、まず柚鈴ちゃんの反応が普段と少し違ったからですね。嘉神さんの姿を見た時、全く知らない人を見た時の反応よりも穏やかな感じがしたんです』
『ほう……いつもはどんな感じなのです?』
興味を覚えた悠志郎が問うと、
『うーん、脱兎の如く母屋へ逃げちゃいます』
双葉はそう言って苦笑した。
なるほど……そう言えば、一番最初に会った時はそんな反応だったような気がする。
『なのに柚鈴ちゃん、さっきは嘉神さんに挨拶をしてから行ったでしょう?だから、お知り合いなのかなと思いまして……』
『それだけですか?』
『それに、あの柚鈴ちゃんの反応が違う人物となれば面白そう……あ……』
つい口を滑らせた……という感じで、双葉は慌てて口元を押さえた。
『それが本音ですね?』
『あちゃ……えへへ、ごめんなさい』
双葉はぺろりと舌を出した。
『まぁ、いいですけどね。でも私は別に面白くもなんともないですよ』
『そんなことはありませんよ。嘉神さんはちょっと変わった人っぽいですよ。どことなく謎めいた雰囲気がありますし……』
そう言って、双葉はまじまじと悠志郎を見つめた。
謎めいた雰囲気がある……などと、人から言われたのは初めてだ。
『時に嘉神さん』
『ああ……名前で結構。悠志郎と呼んでください。その方が落ち着きます』
『かっこいい名前ですねっ』
『それはどうも』
どう応えてよいか分からず、悠志郎は軽く手を上げた。
『じゃあ、私も双葉と呼んでくださいな』
『可愛らしい名前ですね。似合っていますよ』
『それはどうも』
双葉は悠志郎を真似て、軽く片手を上げて応える。
その様子を見て思わずぷっと吹き出してしまった。
『はははは。いやいや双葉さんは面白い子ですね。あなたのような子は好きですよ』
『ありがとうございます。あっ、もうこんなに陽が……』
そう言われて顔を上げると、夕陽は山の向こうに姿を隠そうとしていた。既に辺りは薄暗くなりつつある。
秋の陽はつるべ落としと言うが、随分と日の暮れるのが早くなったものだ。
『もうそろそろ帰らなくちゃ……。悠志郎さん、また来てもいいですか?』
『ええ。かまいませんよ。私は大抵ここの社務所におりますから』
『そっか……。あ、悠志郎さんは何処からおいでなのですか?』
『帝都から参りましたが』
『帝都から!?』
一段と声のトーンが上がった。
どうやら『帝都』という言葉に反応したようだ。地方には帝都に憧れを抱く者が多いと聞いていたが、どうやらこの娘もそうらしい。
『あ、あのっ……帝都ってどんなところですかっ!?』
『どんなところと言われても、帝都は広いですからねぇ。まぁ、ここよりもずっと賑やかな街がいくつも集まった感じと言えばいいでしょうか』
『あーん、それじゃよく分からないですよ。もっと具体的に……』
『参りましたね。ならば質問も具体的にして頂かないと』
『あ、そっか……うーん……うーん……』
双葉は両腕を組んで、考え込んでしまった。