『月陽炎~真章・銀恋歌~』-6
昼食が終わった後……。
悠志郎は一哉の部屋に呼ばれて今後のことに関しての話をすることになった。
まずは父から預かった親書を手渡すと、
『ふむ……ふむ……ははは。なるほどな』
ざっと目を通した一哉は、それを元どおり折り畳んで柔和な笑みを浮かべた。
『悠志郎くん、君はお父さんから何も聞いていないそうだね?』
『一応、仕事の内容は鈴香さんにお聞きしましたが……』
悠志郎が言うと、一哉はゆっくりと頷いた。
『そうか……まあ、迷惑をかけてしまうがよろしく頼むよ』
『いえ、私も色々と学ばせていただきます』
『私は大抵ここで寝ているか書簡をしたためているかのどちらかだ。すまないが鈴香の指示に従って欲しい』
『随分と優秀な方みたいですからね。素直にそうさせて頂きます』
少しつき合い辛そうですが……という言葉を飲み込んで、悠志郎は曖昧に笑った。
『悠志郎くん、娘たちには会ったのかね?』
『え、ええ……先ほどの美月さん?彼女とは話をしていませんが、鈴香さんとは色々と』
柚鈴という娘とも、会っているといえば会っているのだが……。
悠志郎が答えると、一哉は僅かに身を乗り出してきた。
『それで……どうかね?』
『どうといいますと?』
『鈴香はそろそろ嫁に行ってもおかしくない歳なんだが』
『は、はあ……』
話がおかしな方向に流れ始めたのを察して、悠志郎は言葉を濁した。
これはひょっとして……。
『私が言うのもなんだが、器量もよいし、しっかり者だ。ちょっと取っ付き辛いと思うが、あれで可愛いところもあるのだよ』
『ち、ちょっと待ってください……それはどういう……』
『鈴香では不服かね?』
『いや……そうではなくてですね……』
一哉の表情を見る限り、その場限りの冗談ではなく本気で言っていることが分かる。
しかし、初対面の男に娘を嫁がせる話を切り出すとは……。
『私も身体を患っているからね。なにかある前に、せめて娘の花嫁衣装を拝んでおきたいと思っているのだよ』
その言葉を聞いて、悠志郎はピンときた。
……どうやら謀られたようだ。
今回、有馬神社に手伝いにくることに関して、父親が詳しい話をしようとしなかったのは、こういう含みがあったからなのだろう。
ふたりの間でどれほどの取り決めがあるのか分からないが、自分の知らないところで将来を左右するような問題を取り沙汰しないで欲しいものである。
『いやいや失敬。別に無理強いをするつもりはないのだよ』
憮然とした表情を浮かべた悠志郎に、一哉は慌てて言った。
『これは私の希望に過ぎないのだからね』
『はぁ……もしかしてこのことは、娘さんたちも知っているのですか?』
『いや、伝えておらんよ。変に意識されるとやり辛いと思ってね。だから、このことは娘たちにはまだ……』
『とても言えませんよ、そんなこと』
鈴香にしても柚鈴にしても、とても好印象を与えたようには思えない。
もし、互いの親がこんなことを画策しているなどと知ったら、口すらきいてもらえなくなる可能性もあるのだ。
『まあ、まだ来たばかりだ。帰るまでにゆっくりと考えてくれればいいよ』
『善処します……』
悠志郎は仕方なく、一哉に頷いて見せた。
一哉の部屋から辞して自室に向かう途中、悠志郎は不意に尿意を催した。
鈴香に母屋の中は一通り案内してもらったのだが、考えてみれば便所の場所だけは聞いていない。
左右を見まわしてみたが、それらしい場所はなかった。
……仕方ない、誰かに聞くしかないな。
そう考えながら廊下を歩いて行くと、
『ねぇ……美月、起きてってば!学校遅れちゃうよっ……ねぇ』
ちょうど居間から声が聞こえてきた。
女性に訊くのは恥ずかしいものがあるが、この際仕方あるまい。
『すみません、あの……便所は何処に?』
居間への障子を開きながら声をかけると、
『ねぇ、美月……って……あっ!』
さっき出会った不思議な少女、柚鈴が悠志郎に気付いて振り返った。
『っ……えっと……えっと……そのっ……』
柚鈴は悠志郎を見ると、急に言葉を詰まらせる。その脅えたような姿に、悠志郎は彼女が対人恐怖症であると聞かされていたことを思い出した。
できるだけ刺激しないように気をつけながら、
『あ、あの……実は……』
極力優しい笑顔を浮かべて足を踏み出した途端、
『いやぁぁっ!こないでぇっ!』
耳をつんざくような悲鳴を上げてぺたりと座り込むと、柚鈴は両腕を痛ましいほどギュッと抱き寄せた。
『柚鈴っ……!?』
それまで畳の上で大の字になって寝ていた少女が、柚鈴の悲鳴を聞いて飛び起きた。
美月とかいう快活そうな娘だ。
しくしくと泣き崩れる柚鈴を一瞥した美月は、側にいた悠志郎を見咎めて、たちまち憤怒の表情を浮かべた。