『月陽炎~真章・銀恋歌~』-5
悠志郎は鈴香に案内されて、しばらく滞在することになる部屋に荷物を置いた後、母屋のあちこちを見てまわった。
『母屋には居間と父たちの部屋、それに私たち姉妹の部屋がそれぞれと、今の客間があります。先ほど私たちがいたのが居間です。台所はその近くにありますから覚えておいてください。なにか質問がありますか?』
『いえ、特に……』
『では次へ参りましょう』
鈴香は一方的に説明を終えると、さっさと先に立って歩き始める。
随分忙しい案内だと思いながら、悠志郎は急いで彼女の後を追った。
母屋から続く板張りの長い廊下を進むと、本堂を抜けて社務所へと到着する。
『明日から、ここで私の仕事を手伝っていただくことになります』
『仕事の内容というのは何でしょう?』
『主に書簡のまとめと、私が席を外している際の売り子などです。期間はとりあえず秋祭りが終わるまでと父から聞いておりますが、詳細は直接本人の口から聞いてください』
『はあ……』
『他になにか?』
『いえ……結構です。ありがとうございました』
悠志郎は鈴香の淡々とした説明にうんざりしてしまった。
最初の印象が悪かったとはいえ、自分が来たことを歓迎されていないような気がして、なんだか憂鬱な気分になりそうだった。
『さ、そろそろ昼食ができた頃です。戻りましょう』
鈴香に促されて母屋に戻ろうとした時。
『あっ……』
渡り廊下を歩いてきた銀髪の少女が、悠志郎たちに気付いてぱっと廊下の曲がり角に身を隠した。そして、まるで悪戯した子供が親の姿を窺うように顔を半分だけ覗かせる。
『少々、失礼します』
鈴香はその場に悠志郎を残して、さっさと銀髪の少女、柚鈴の方へと歩いていく。
まるでついてくるなと言わんばかりの勢いである。
柚鈴を廊下の曲がり角の奥へと連れていくと、ぼそぼそと言葉を交わし始めたようだ。
『ふう……』
悠志郎はそんな様子に、何度目かの溜め息をついた。
明日からの仕事の相方が鈴香だと思うと、正直上手くやっていけるか不安になってくる。
あからさまな態度こそ見せないが、彼女に歓迎されているとはとても思えない。
先ほどの口ぶりからして家庭事情が複雑なせいだろうか?
……まったく、厄介な所に送り込んでくれたものですね。
父を信じて引き受けたはいいが、悠志郎は来た早々、安請け合いしたことを後悔し始めていた。
もっとも、引き受けたからには仕事をまっとうして帰らなければならない。
ならば、少しでも打ち解けて居心地をよくするのが得策なのだが……。
そんなことを考えていると、白米の炊ける匂いが漂ってきた。
そういえば昼食の時間だ。
今日は朝早くに汽車の中でにぎり飯を食べたのが最後だと思い出して、悠志郎は急に空腹感を覚えた。
『お待たせしました』
そう言って鈴香が戻ってきた途端、間の悪いことに腹の虫がぐうと鳴いてしまった。
『まぁ……』
『おおっと、これは失礼』
『ふふふ、もうじき昼食ができると思います。是非ご一緒してください』
『では、お言葉に甘えて』
『柚鈴のご飯は美味しいですから、楽しみにしてください』
鈴香は初めて笑顔を見せた。
場の雰囲気が少しほぐれたせいか、彼女の緊張も解けたようだ。
できることなら、ずっとこんな表情を見せて欲しいものである。
長い廊下を渡って母屋に戻ると、玄関がガラリと開く音が聞こえてきた。振り返ると、廊下の奥の玄関に数人の人影が見える。
『ただいま〜っ!わぁ〜いい匂いっ、あたしお腹空いて死にそうだよっ』
元気のよい声が廊下へ響き渡った。
『今帰られたご一行が……?』
『はい。父と葉桐さんに、妹の美月(みづき)です』
鈴香に問うと、彼女はせっかく砕けた表情を硬く戻して頷いた。
柚鈴の他にも姉妹がいたようだ。
これも、複雑な家庭事情というやつなのだろうか。
『とりあえず、ご紹介いただけますか?』
『はい……』
すっかり元に戻ってしまった鈴香に連れられ、悠志郎はようやく有馬家の主人である有馬一哉(ありまかずや)と対面することができた。