『月陽炎~真章・銀恋歌~』-49
50 『綺麗な月だよね……』
丸く浮かんだ十六夜月。それは眩しく輝き、そして、時折かかる薄雲がその姿を隠し、ゆらめく様はまるで陽炎のように見える。
辺りには虫の音だけが響き、涼やかな風がそっと頬を撫でていく。
悠志郎は、このまま時が止まってくれればいいと願う。
だが、無情にも遠くに見える山の稜線は既に白み始めていた。
もう……残された時間は僅かだ。
『もうすぐ……夜が明けちゃうね……』
『やだ……やだぁっ!美月……美月っ!』
言葉を震わせながら泣き出した柚鈴を、美月はぎゅっと抱きしめる。
涙を浮かべながらも優しく微笑み、ぽんぽんと何度も柚鈴の背中をさすっていた。
『でもね……これでよかったのかもしれないよ。あたしのために人が何人も死んじゃうなんてやだもん。母様も婆様も消えて……最後にあたしが消えれば、もうこの街で妙な事件が起こることもなくなる』
美月はそう言うと、顔を上げて悠志郎を見つめた。
『悠志郎、あたしを封じて』
『しかし……』
『そうだな……封じられるなら柚鈴の首飾りがいいな。そうすれば、いつもみんなと一緒にいられるから。神威の子なんだからできるんでしょう?』
『できるできないの問題じゃないよっ!』
躊躇う悠志郎が言葉を返す前に、柚鈴の声が森の中に響き渡った。
『私たち、生まれてからずっと一緒だった姉妹なんだよっ!そんなこと……』
『お願い……柚鈴。このまま夜明けを迎えて消えてしまうくらいなら……』
美月は袖で涙を拭くと、なんとか笑顔を浮かべてみせる。
『せめて、最後くらいは笑って見送ってよ』
柚鈴をそっと離すと、美月は悠志郎に近付いて胸にぎゅっと抱きついた。
『えへへ……一度ここに抱きついてみたかったんだぁ』
『美月……こんなことぐらい、言えば何度でもしてあげたのに』
『だって、恥ずかしいもん。それに……柚鈴の目が怖いしね』
おどけるような美月の頭を悠志郎は何度も撫でた。
美月は満足そうに微笑むと、そっと胸に手をついて離れ、まっすぐに悠志郎と柚鈴を見つめた。
その背後に、まばゆい宝石のような陽が見え始めている。
『さあ……お願い』
もう時間がない。
このまま消え去るぐらいなら……と悠志郎が封印する覚悟を決めた時、まるでその意志が伝わったかのように、柚鈴は手にしていた首飾りを手のひらの上に乗せた。
『ここに封じられたら……もう輪廻の輪に戻れないよ?何もできないまま、ずっとこの中で……永遠の時を過ごさなきゃいけないんだよ?』
柚鈴は静かに言うと、涙の浮かんだ瞳で美月を正面から見つめた。
『うん……』
『それでも……いいの?』
『柚鈴や姉様……悠志郎がいなくなっても、その子供たちはいるもの。その子たちを永遠に見守るなんて、結構かっこいいじゃない』
『ばか……』
瞳を潤ませながら、ふたりはくすくすと笑い合う。
それが永久の別れになることを承知した上で……。
『柚鈴……いいんですか?』
『美月がそう望むなら、私は美月の姉妹としてその願いを叶えるだけです。美月は……大事な……大事な私の姉妹なんですから……』
柚鈴からある種の決意が伝わってくる。
もう悠志郎には何も言えなかった。
悠志郎と柚鈴が強い絆で結ばれているように、柚鈴と美月も姉妹という絆で結ばれているのだ。
『ありがとう、柚鈴。……強くなったね』
『あんまり……強くないよ……。今だって……泣きそう』
ふたりはそっと寄り添うと、ぎゅっと抱きしめ合った。
言葉はなく……ただ、思いだけが通う。
やがてゆっくりと離れると、互いに優しく微笑み合う。
『悠志郎、今までありがと……楽しかったよ』
返す言葉がなかった。
無言のままふたりを見守る。
それが今の悠志郎にできる精一杯のことであった。
『この琥珀に、美月の手を当てて……』
『ちゃんとできるの?』
『私だって神威の子なんだもの』
柚鈴は悠志郎のように「目覚め」を自覚しているわけではないだろうが、美月を封印する手段だけは理解しているようだ。
おそらく、何故そんなことができるのかと問われれば、柚鈴自身にも分からないに違いない。
『行くよ……できるだけ幸せなことを思い出して……』
『あはっ……なんにしようかなっ』
『大地より産み出されし力宿す者よ……汝慈愛の扉を開かん』
柚鈴が祝詞(のりと)のような言葉を紡ぎ始めると、ぽうと琥珀が光り出し、ふたりが重ねた手の間から光が漏れる。