『月陽炎~真章・銀恋歌~』-45
46 『うっ……ううっ……』
呆然と辺りを見まわしていた悠志郎の耳に、虫の鳴き声に混じって微かな声が聞こえてきた。
慌てて声の聞こえてくる方向に意識を向けた悠志郎は、折れた大木の下に見知った顔を見つけて駆け寄った。
『真……!?』
『ゆ、悠志郎……か』
悠志郎が近付くと、真は荒い呼吸を繰り返しながら血まみれの顔を上げた。
よく見ると全身に酷い傷を負っている。
僧衣は無惨に切り裂かれ、腹部の傷からは臓物が覗いていた。
息があるのが不思議なほどだ。
それでも止血ぐらいは、と悠志郎は真に手を伸ばしたが……。
『無用……もう長くはない』
真はゆっくりと首を振ると、生きてまた会えるとは思わなかった……と乾いた声で笑った。
『……一体、何をしたのです』
『過去の清算だ……堕ち神の妻との間に……できた子を……この手で……』
『……この手紙は、あなたが出したのですね?』
先程拾った手紙を懐から取り出して見せると、真は小さく頷く。
父と署名した者が真だとすると、その子とは……葉桐のことに違いない。
『葉桐さんが……堕ち神?』
真がこの前言っていた、堕ち神……。
『葉桐さんを殺したのですか?』
『奴は……堕ちたとはいえ神の末裔。力を失いつつある私に勝ち目はない……手傷を負わせるのが精一杯であった……』
だとすると、あの血痕は葉桐のものだろう。
ここで真と戦い、傷付いて家に引き上げた……そこまでは間違いない。
『何故、葉桐さんを殺そうとしたのです?』
『前にも言ったが……私の妻は……その素性を隠した堕ち神の末裔だった……』
悠志郎が問うと、真は荒い呼吸を繰り返しながら途切れ途切れに語った。
『堕ち神は伴侶の精を食らい……子を宿し……そうして輪廻を繋いでいる一族だ。神職にありながら……私は堕ち神の妻を愛してしまった……だが……儲けた子の血を絶やさねば……罪もない氏子の子がまた……死ぬ……』
『どういうことです……?』
『堕ち神の子が……成人を迎える頃……同い年くらいの女子の血を幾人分か必要とするのだ………昔……私がその怪事件を追って……追い詰めた犯人……それが……葉桐だ……』
では、葉桐が猟奇殺人事件の犯人……?
いや待て……葉桐はとうの昔に成人を迎えているはずだ。
だが、怪事件はこの土地で数年ごとに起こっていると聞く。
一哉の件は別として、先代の怪事件の犯人が葉桐だとしたら、今回の一連の事件の犯人は……。
『……ま……さか……』
悠志郎はあまりのことによろよろと数歩後退った。
自分の考えを否定したくとも、これまでの出来事を思い出すと全てが符合する。
『……悠志郎よ……』
呆然とする悠志郎に、真が静かに言葉を続けた。
『葉桐には……娘がおるだろう……?』
『……っ!?』
推測が最悪の形で真実になり、悠志郎はギクリと身体を強張らせる。
……美月っ!?
『あの時と同じことが起きていると聞いた……。頼む……これ以上氏子が死んで行くのは辛抱ならぬ……葉桐の子を……止めてくれぬか?』
『……止める、とは?』
『殺すか……封ずるか……だ』
真の言葉に悠志郎は軽い目眩を感じた。
あの美月を殺すか……封ずるか?
『もし……柚鈴の……神威の力を奪われれば、堕ち神の子は間違いなく覚醒してしまう。しかも神を喰らっての覚醒では、もはや……人として生きていくことも……できまい』
『だから、私に美月を殺せと言うのですかっ!?』
悠志郎の悲痛な叫びに、真は答えようとはしなかった。
それを為す者が他にあろうはずはないという意味だろう。
堕ち神を止めることができるのは、神威としての目覚めを始めている悠志郎以外にはいないのだ。
『あんなに仲のよい姉妹を……第一、美月と柚鈴は先程から行方が……』
『ひ、皮肉なものだ……堕ち神の子と…神威の子が姉妹とは……しかし……まずいことになっているようだ……ぐふっ……』
真の口元から多量の血が滴り落ちる。
気力だけで持ち続けていた真の生命が、この世に留まっていられる限界に近付きつつあるようだ。
『しっかりしてください!まだ死なれては困ります!』
『悠志郎……すまぬ……まだ幼子であったお前に神威の力を与えてしまったばかりに……このようなことを押し付けることになった……』
真は気力を振り絞って悠志郎の手を取ると、残された生命力の全てを使うかのように握りしめてくる。
『美月と言ったな……葉桐の娘を……止めてくれ……。お前は柚鈴のことを……好いているのであろう?』
『ええ……』
『あの娘にも……不憫なことをしてしまった……。堕ち神を……憎むあまり……お前だけではなく……沙久耶を犯してまで……神威の子を……』
『……っ!?』
真の言葉に、悠志郎は柚鈴の本当の父親が何者なのかを知った。
後天的に力を与えられた悠志郎よりも、邪を払う者の血を色濃く受け継ぎ、その身体の中に神威の力を宿した少女……。
彼女の銀の髪は、その象徴ともいえるものであったのだ。