『月陽炎~真章・銀恋歌~』-39
40 屋敷には、重い雰囲気が立ち込める。
交代で看病することになったため、悠志郎は柚鈴と共に美月の枕元に座った。
柚鈴が沈痛な面持ちで手拭いを替えると、再び額に乗せる。
看病と言っても、所詮はこの程度のことしかできないのだ。
『美月……』
そう呟く柚鈴の声は、今にも泣き出してしまいそうだ。
悠志郎は、何か気の利いた言葉のひとつも掛けてやりたかったが、こんな時に限って何も思い浮かんでは来なかった。
『柚鈴……美月はどう……?』
しばらくすると、葉桐が部屋に顔を見せた。
『さっきから熱が下がらなくて……手拭いもすぐ温まっちゃう』
『そう……。柚鈴、あとは私が見ているから、もう寝なさい』
『……いやぁ!』
大きな声だった。
柚鈴がここまではっきりと感情を表に出すのは珍しい。
葉桐も驚いた顔をして柚鈴を見つめている。
『やだ……やだぁっ!私……美月が治るまでずーっとここにいるっ』
『柚鈴、それじゃ柚鈴まで身体を壊してしまうわ』
『やだやだやだっ!ここにいるもんっ!美月が治るまでここにいるもんっ!』
ぽろぽろと涙を流しながら、柚鈴は頑として葉桐の提案を受け入れようとはしない。
そんな頑(かたくな)な柚鈴の様子に説得するのを諦めたのか、葉桐は苦笑いを浮かべる。
『分かったわ。でも、柚鈴まで倒れたら、母さん……悲しいからね』
『んっく……ひっく……う、うんっ……ごめんね……母様っ……』
葉桐は美月の顔を覗き込んだ後、
『では……時々様子を伺いに参ります』
悠志郎にそう声を掛けて部屋を出ていった。
葉桐が立ち去った後も、柚鈴は無言のまま、ぬるくなった手拭いを絞っては美月の額に当てた。
何度も何度も……手拭いがぬるくなる度にそれを替え……。
悠志郎が座ったままうつらうつらと船を漕いでも。
柚鈴は夜が明けるまで心配そうに美月の様子をずっと見守り続けていた。
ふと気付けば夜が明けていた。
一夜明けても美月の容体は一向に回復する様子がなく、柚鈴は一睡もせずに看病を続けている。
葉桐や鈴香が休むように言っても、美月の側を離れようとはしないのだ。
あれからずっと手拭いを絞り続けているために、柚鈴の手は赤く腫れ上がっている。
『柚鈴……代わりますから、少し休みなさい』
『いやですっ』
『……部屋へ戻れとは言いませんから。手拭いは私に渡しなさい』
腫れた手はかなり痛いのだろう。
不満そうではあったが、このままでは保たないことを悟ったらしく、悠志郎に手桶の置いてある場所をそっと明け渡した。
『姿勢を楽にして、そこで座ってなさい』
悠志郎は柚鈴と場所を交代すると、手拭いを桶に浸して絞り、美月の額に当てる。
未だに美月の意識は戻らず、荒い息を吐くだけだ。
柚鈴は足を崩しながら、じっと美月を見つめたまま目を離そうとしない。
しんと静まり返り、美月の荒い吐息だけが部屋に響く。
『柚鈴……ひとつ訊きたいのですが』
『……はい』
『どうして……そこまで一生懸命になれるのですか?』
美月が心配なのは分かる。
だが、葉桐の言うことも聞かず、鈴香の申し出も断り、一緒にいた悠志郎がこうして手拭いを当てることさえ嫌がるのは何故なのだろう。
『美月は物心付いた時から一緒にいた……一緒に母様の乳を飲んだ乳姉妹だから……』
柚鈴は赤く腫れた両手を懐で温めながら言葉を続ける。
『何をするのも一緒で……私の一番の遊び相手でした。姉様もよく遊んでくれたけど、やっぱり同い年の美月と色々遊ぶのがとても楽しかったんです』
柚鈴はぽつりぽつりと過去のことを話し始めた。
夜遅くまで、鈴香の目を盗んで語り明かしたこと。
境内に遊びに来た村の男の子たちに、髪の色をからかわれたこと。
そして、それを美月が箒を振り回しながら助けてくれたこと……を。
『でも……私は……美月に何もしてあげることができなかった』
『柚鈴?』
『何も……私は何もしてあげられなかったのっ!』
瞳からぽろぽろと涙を零しながら、柚鈴は悲痛な言葉を漏らし始めた。
『美月、何でも自分でできちゃうから、私は迷惑かけてばかりで……何にもしてあげられなかった。だから、だから……こんな時くらい美月の役に立ちたかったのっ!』
度々倒れる美月を見ているうちに、柚鈴の中に、もしかしてこのまま治らないのではないかという気持ちが芽生え始めていたのだろう。
特に今回は、いつもと違うだけにその不安も増大しているに違いない。
悠志郎は泣きじゃくる柚鈴の身体を、そっと抱きしめてやった。