『月陽炎~真章・銀恋歌~』-38
39 彼の答えは、はっきりと腑に落ちるものがひとつとしてないのだ。
『そう怒るな。いずれ……いや、必ず近いうちにお前は全てを知ることになるだろう』
その時、遠くで懐中電灯の明かりがいくつか見え始めた。
柚鈴の悲鳴を聞いて駆け付けた自警団の人々だろう。
『……そろそろ時間のようだな。もっと語りたいこともあったのだがな』
『待ってください。不明瞭な謎かけばかりで肝心の答えがないのは卑怯です』
悠志郎は、その場から立ち去ろうとする真を呼び止めた。
『ふふ……既に歯車はまわり出している。だが、行く末は私にも分からん。……お前自身で好きに変えるがいい。その力は与えている』
真は背中を向けると、そのまま暗闇の中へと歩き出した。
『だから、謎かけはっ!』
『悠志郎よ、柚鈴を愛したか……?』
『なっ……!?』
『お前たちに、幸あらんことを……』
それが真の最後の言葉になった。
追い掛けようにも、身体の自由が利かない上に、柚鈴を放り出すこともできない。
その間に真の姿は闇に紛れ、影も、音すらも聞こえなくなってしまった。
『あっちだっ!あっちに明かりが見えるぞ!』
『おーいっ!大丈夫かぁっ!?』
近付いてくる自警団の人々の灯りと声を聞きながら、悠志郎は真の消えた暗闇をじっと見つめ続けていた。
……夢、ではない。
悠志郎は自室の天井を見上げながら、つい先刻の真との話を思い返していた。
あれから自警団の何人かが、悠志郎が出会ったという僧形の男を捜して森の中を駆けまわったのだが、ついに真の姿を見つけることができなかったという。
柚鈴は単に気を失っていただけで外傷はなく、神社に戻る前に意識を取り戻していた。
前回と同じように真と出会った前後の記憶は抜け落ちており、悠志郎が事情を説明しても不思議そうに首を捻るだけであった。
『有馬神社の……先代の宮司……か』
悠志郎は部屋で横たわったまま、真が残した言葉をひとつずつ反芻(はんすう)してみる。
だが、彼が残した言葉には謎が多過ぎるのだ。
なんらかの事情による失踪事件……。
堕ち神……と言っていたはずだ。
めとった妻が堕ち神の末裔だと。
そして、悠志郎と柚鈴の父と名乗っている。
柚鈴の怯えと、悠志郎の頭痛……。
……分からない。
真の話を思い返せば返すだけ、謎が深まっていくような気がする。
ふと外の空気が吸いたくなり、悠志郎は今まで夜に開けたことのなかった障子を開いた。
柔らかな夜風がひんやりと頬を流れて行く。
月明りが植えられた木々と岩とに遮られ、広い白砂利の庭に陽炎(かげろう)のような影を落としている。
廊下に出て庭先を眺めた後、悠志郎は空を仰ぎ見た。
そこには満月に近い月が不思議な光を夜空に放っている。
それは美しくもあり、禍々しいようにも思えた。
『……え?』
悠志郎は、不意に自分がひとりで闇の中にいることに気付く。
家の中にいるとはいえ、辺りは暗く月明りがぼんやりと照らし出しているだけなのである。
何故……平気なのだろう?
つい数刻前までは、あれほど恐かったというのに……。
あの腹の底から沸き上がるような恐怖感が、今は全く感じられなかった。
……とさっ。
月明りに身を晒していた悠志郎の耳に、何か物音が届いた。
音のした方を振り返ると、少し離れた場所にある部屋の障子が半開きになり、廊下には横たわった少女の姿。
『……美月!?』
急いで駆け寄ると、悠志郎は倒れていた美月を抱え起こした。
また例の貧血かと思ったのだが、今回はいつもとは様子が違った。
はあはあという熱い吐息に気付き、額に手を当ててみると、かなりの高熱のようだ。
物音に気付いたのか、隣の部屋から障子が開いて柚鈴が顔を出した。
『悠志郎さん、美月がどうかした……』
そこまで言って異変に気付き、柚鈴も慌てて駆け寄ってきた。
『美月っ!ねぇっ、大丈夫?返事してぇっ!』
柚鈴が必死になって声を掛けるが、美月に反応はない。
荒く熱っぽい呼吸を繰り返すだけで、完全に意識を失っているようだ。
『柚鈴、すぐに葉桐さんと鈴香さんを呼んで来て。それから水と手拭いを。急いで!』
『う、うんっ!』
悠志郎は美月の身体を抱え上げると、半開きになったままの障子を開いて部屋の中へと運び込んだ。
あの元気だった美月。
それが今はその片鱗さえなく、腕の中でぐったりとしたまま身動きひとつしなかった。
やがて駆け付けてきた葉桐や鈴香も、今までになかった美月の様子に青ざめた表情を見せた。
急遽、医者が呼ばれることになり、深夜だというのに有馬家は騒然となる。
だが、やってきた医者も結局は原因を特定することができず、とりあえず解熱剤だけを与えて様子を見ることになった。