『月陽炎~真章・銀恋歌~』-3
『……?』
足元まで広がってくる波紋の源を辿って顔を上げると、そこにはひとりの少女がいた。
『あなたは……誰?』
少女は悠志郎に訊いた。
『君は……誰……?』
悠志郎は思わず問い返す。
『何処から来たのですか?』
『何処から来たの?』
『昔…何処かで逢ったことはありませんか?』
『ねぇ、何処かで逢ったことない?』
互いに問うばかりでひとつの答えも得ることはできなかったが、不思議とその少女が親しく……懐かしい存在であることを感じ取っていた。
少女は水面を歩いて、ゆっくりと悠志郎に近付いてくる。
足を踏み出すごとに波紋が広がり、光の海へと溶け込んでいく。
少女は悠志郎のすぐ前に立つと、そっと頬に触れてきた。
『君は……誰?』
私を知っている……?
悠志郎は無意識のうちに、頬に触れた少女の手を握っていた。
途端、静かに光の世界が薄れてゆく。
……夢……。
そう、これは夢なんだ。現実の世界に引き戻され、悠志郎はゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりとした視界に映るのは、光に満ちた世界ではなく……ひとりの少女。
そう、少女だ……。
おっとりとした目で、悠志郎の目を覗き込んでいるようであった。
『………………』
白……いや違う。
あれは銀だ。
銀糸を束ねたような髪が日の光を浴びて美しく輝いている。
異国の少女だろうか。
何処から来たのだろう。巫女の装束を纏っているということは、ここの人なのだろうか。
名はなんというのだろう。
覚醒しきっていない悠志郎の脳裏に、いくつもの疑問が浮かんでは消えた。
時が止まってしまったかのように彼女を見続けていた。
彼女もまた、悠志郎から視線を外そうとはしない。
ふと、悠志郎は彼女の右手が頬に添えられていることに気付いた。
自分がその手をしっかりと握りしめていることにも。
『え………?』
ふたりがその事実に同時に気付き、互いの視線が外れた瞬間、止まっていた時が動き出した。
『い、いやぁっ!』
『うわっ!な、なんですかっ!?』
『い、いやぁぁっ!離して!離してぇっ!!』
『ちょ、ちょっと落ち着いてくださいよっ!』
少女が急に大声を上げて叫び出したことに驚き、悠志郎は思わず狼狽(ろうばい)してしまった。
『許してぇっ!許してくださいっ!いやぁっ!』
『いや、ですから許してって……その……』
目の前の少女は狂ったように泣き叫び、必死になって悠志郎の手から逃れようとする。
これではまるで、悠志郎が少女を襲っているかのようだ。
『離してっ!お願いぃぃっ!!』
『あ……っ』
無意識のうちに少女の手を強く握りしめていたことに気付き、慌てて捕らえていた手を離した。
途端、少女はぱっと身を翻すと、脱兎の如く母屋へと駆け込んでいく。
……なんなんだ、一体?
呆然と少女が消えた母屋を見つめていると…
ヒュッ……!
背後から小柄が飛んできて、勢いよくスコンと壁に突き刺さる。
研ぎ澄まされた刃は日差しを受けて、狂暴にギラリと笑っているように見えた。
『この痴れ者っ!!』
声に振り返ると、巫女姿の女性が懐刀を取り出しながら悠志郎を睨みつけていた。
『嫌な予感がして帰ってみれば……神聖なる境内で、しかも巫女に乱暴を働くとはっ!』
『あ、あのですね、誤解ですって!』
『よくも妹の柚鈴(ゆず)を……っ!!許さないっ!!』
女性は懐刀を抜くと、悠志郎に言い訳をする間も与えずに襲いかかってきた。
『うわーっ、誤解ですよ!話を聞いてくださいっ!』
『問答無用っ!神罰を受けなさいっ!』
巫女の振る懐刀が、勢いよく悠志郎に向けて振り下ろされた。
『申し訳ありませんっ!』
通された母屋の一室で、巫女姿の女性、有馬鈴香(ありますずか)は、悠志郎に対して恐縮するように深々と頭を下げた。
『事情は全て妹から聞きました。嘉神さん、本当に申し訳ありませんでした』
『まぁ、こうして生きているわけですから』
悠志郎はそう言って笑ったが、あと一歩でも踏み込まれていたら、首と胴体が泣き別れになっていたことは間違いないだろう。
父親から遊び半分で習っていた白刀取りが幸いしたが、寿命が二十年は縮んだ思いだ。
思い返しただけでも背筋が凍る。
『本当にすみません、なんとお詫びしたらよいか…』
『ははは、もういいですよ。私も少し迂濶でしたし……』
無意識とはいえ、初対面の少女の手を握ってしまったのだ。
斬り掛かられたことはともかく、悠志郎にも全く非がないわけではない。