『月陽炎~真章・銀恋歌~』-24
25 『ここは……とても居心地がよい場所です。ここにいるだけで、私は満足です』
本当に幸せそうな笑顔に、悠志郎は思わず引き込まれそうになる。
暖かで、優しく満たされるような……そんな感情が伝わってくるかのようだ。
妙に緊張していた鼓動も、ゆっくりとしたものに移り変わってゆく。
何故か、ふたりでここでこうしているのがとても自然なことに思える。
ずっと一緒にいる恋人同士のような、幼馴染みのような……とても不思議な気持ちであった。
『あっ、悠志郎さんっ!引いてます、引いてますよっ!』
柚鈴の声で棒浮きが動いていることに気付き、悠志郎は慌てて竿を上げた。
合わせるのが遅れたために逃したかと思ったのだが、立ち上がって川面を覗き込むと、かなり大きなニジマスが掛かっている。
『わっ!大きいですよっ、これは』
糸を切られないように微妙な力加減を加えながら、川辺を少しずつ移動する。
思わず片足を川に突っ込んでしまったが、そんなことを気にしている余裕はなかった。
『悠志郎さんっ!がんばれっ!』
柚鈴が立ち上がって声援を送ってくる。
思ったよりも大きな魚はグイグイと竿を引き、悠志郎はつられるように川の中へと入っていった。
既に膝下あたりまでずぶ濡れになっている。
こうなれば、どちらが先に参るか根比べというところだ。
そう考えた途端……。
『おわっ!』
川底の苔に足を取られ、悠志郎は派手な水飛沫と共に川の中でひっくり返った。
『悠志郎さんっ!』
『ぶはぁっ!』
さほど深い川ではないのが幸いだった。
悠志郎はよろよろと立ち上がったが全身はずぶ濡れ。
おまけに転んだ拍子に糸が切れたらしく、魚はとうに逃げ去った後だ。
踏んだり蹴ったりとはこのことだろう。
『いやはや……酷い目に遭いました』
苦笑しながら振り返ると、柚鈴は川の中をざぶざぶと悠志郎の元へと向かってくる途中であった。悠志郎の身を案じてのことだろうが、かえって危なっかしい足取りだ。
『悠志郎さんっ!悠志郎さんっ!!』
『柚鈴、そこにいなさい!大丈夫だから……って……』
『きゃああっ!』
……言わんこっちゃない。
『柚鈴っ!』
『あ……悠志郎さん』
あっという間に濡れ鼠となった柚鈴は、近寄ってきた悠志郎を呆然と見上げる。
『もう、心配かけさせないでください。川を素足で歩くと滑りやすいんですよ。私を見ていて分かったでしょうに……』
どうやら怪我はないようだが……。
転んだ拍子に袴が太股の辺りまで捲くれ上がり、飛沫に濡れた髪は日差しによっと銀糸のように輝いている。
水に濡れた服は身体に張り付き、まだ幼さを残しながらも彼女が女であることを物語っているようであった。
『悠志郎……さん』
じっと自分を見つめてくる柚鈴の目を見つめ返した時……何かが悠志郎の心の堰(せき)を切ったように溢れ出してきた。
『柚鈴……』
悠志郎は片膝を落とし、柚鈴にそっと口付けた。
『ん……ぁ……悠志郎……さん……』
『……愛している……と言ったら、迷惑ですか?』
言うべきか言わざるべきか……ずっと迷い続けていた言葉が、つい口から漏れた。
『いいえ……』
柚鈴は小さく、しっかりと首を振る。
『いいえっ……迷惑なんかじゃありません』
『柚鈴……』
『悠志郎さん……私も……あなたが好きです。愛しています……』
柚鈴の瞳には、零れ落ちそうな涙がゆらゆらと浮かんでいる。
悠志郎は顔を近付けると、再び彼女の華の蕾のような可愛い唇に、そっと唇を重ねていった。