『月陽炎~真章・銀恋歌~』-23
24 悠志郎が来てから一週間……。
目標であった秋祭りを、ようやく無事に終えることができた。
有馬神社の祭りはこの付近では一番大きな催しものらしく、かなりの人が訪れたために、祭りの前はその準備で忙殺されてしまった。
祭りが始まってしまえば、ようやく人に慣れてきた柚鈴と屋台をまわる程度のゆとりを持つことができたが、今度はその後始末だ。
もっとも、こちらはそれほど急ぐ必要はない。
準備のための疲れを癒す意味もあって、悠志郎は祭りの翌日には一日の休みを貰っていた。
『さて、今日はどうやって過ごしましょうかね』
久しぶりにぐっすりと眠った悠志郎は、いつもより遅い時間に起き出してきて、秋晴れの空を見上げながらひとりごちて呟いた。
本当にいい天気だ。外はさぞかし心地よいだろう。
……そうだ、この前の川へ行こうか。
悠志郎は、二、三日前に裏山で見つけた川を思い出した。
あそこなら景色もよいし、色々と魚影が見えたので、釣りをしてもなにか釣れるだろう。
ひとりでぼうっと過ごすにも最適の場所だ。
『ひとり……か』
ふと、昨日の祭りを柚鈴と共にまわっことを思い出した。
初めて見る屋台に、彼女は心底楽しそうな表情を浮かべていた。
そっと触れ、絡み合った指先……。
お互いを見つめる、熱い視線……。
『ん……いかん、いかん』
ぼんやりと柚鈴のことを思い浮かべた悠志郎は、高まってくる動悸に慌てて首を振った。
残務処理があるとはいえ、後数日でこの地を去らねばならないのだ。
余計な想いを抱いてしまえば離れ難くなってしまう。
……けれど。
『柚鈴。き、今日はお暇ですか?』
『え、そうですね。とりあえず朝食の片付けが終わったら、です』
朝食が終わって他の者が席を立った後、悠志郎はそっと柚鈴に語りかけた。
『あの……私、これから裏山にある小川へ釣りへ行こうと思っているんですよ。ですから……その、一緒に行きませんか?』
悠志郎の誘いに、柚鈴はぽっと頬を染めた。
『は、はいっ、行きますっ』
もじもじと身じろぎながらそう答える柚鈴の笑顔に、悠志郎の胸が再び高鳴る。
『でも、朝食の後片付けに時間が掛かりますから……後で追い掛けて行きます』
『ああ、いいですよ。待ってますから』
悠志郎がそう言うと、柚鈴はふるふると首を横に振った。
『大丈夫です、先に行ってください。朝の方が釣れるのでしょう?』
『別に坊主でもかまいやしないんですけどね』
『だーめーでーすっ!』
『はぁ……そこまで言うならそうしましょうかね』
別にそれほど急ぐわけではないのだが、何故か柚鈴は先に行かせようとする。
悠志郎は仕方なく釣り道具一式を抱えると、一足先に川へと向かうことにした。
まだ日が昇りきっていないというのに、とても暖かな日だ。
せせらぎの音を聞きながら川辺を歩き、眩しい日差しを避けて木陰の場所を探す。
あまり深くはない清流だ。
澄んだ水は勢いよく流れ、時折石にぶつかっては飛沫(しぶき)を上げている。
こうして見ると結構上流の方なのかもしれない。
悠志郎は、丁度具合のよい場所を見つけるとそこへ陣取って、平らな石に腰かけながら糸を垂らした。
釣りなど随分と久しぶりのことだ。
家に帰ればそれなりの竿を持っているが、今回の相棒は有馬家の納屋で見つけた古竿だ。
おそらく、一哉が使っていたものなのだろう。
……まあ、構わないでしょう。
別に今回は魚を釣るのが目的ではなく、自然の中でほうけるために来ているのだ。
糸を垂らして小一時間ほどすると、後ろから土を踏む音が聞こえてきた。振り返ると、銀色の髪をした少女がきょろきょろと辺りを見まわしている姿が見える。
悠志郎が軽く手を上げて合図すると、
『あ、悠志郎さんっ』
柚鈴は手を振り返しながら、ぱたぱたと小走りで駆けて来た。
『ごめんなさい、ちょっと遅れちゃいました……』
『いえ……でもどうしたんですか?少し遅いので心配していたところです』
『えっと、あの……お弁当作ってきちゃいました』
悠志郎の質問に、柚鈴はおずおずと手にした包みを揚げて見せた。
しつこく先に行けと促していたのは、どうやらこのためだったようだ。
『おやおや、わざわざすみません。でも、嬉しいですよ。外で食べる握り飯は格別美味しいものですからね』
『は、はい』
柚鈴はほんのりと顔を赤らめながら笑顔を見せた。
その笑顔は、なんだか悠志郎を落ち着かせなくさせる。
慌てて視線を川へと戻し、竿の先にある棒浮きを見つめた。
ふと鼻を擽る石鹸の……柚鈴の匂い……。
ちらりと横目で見ると、隣にはごく自然な感じで柚鈴が腰を下ろしていた。
『た、退屈ではありませんか?』
『いいえ。全然退屈じゃありませんよ』
柚鈴はゆっくりと首を横に振る。
『うーむ……竿、もう一本調達してくればよかったですねぇ』
『いいえ、私はこうしてるだけでいいんです』
柚鈴はそう言って顔を上げると、木漏れ日の眩しさに目を細めた。