『月陽炎~真章・銀恋歌~』-2
『へぇ……』
予想していたよりもモダンな街並みに、悠志郎は感嘆の溜め息をついた。レンガ造りの新しい街並みは、帝都にある駅前のそれよりも若々しさに溢れている。
街を歩く人々、その間を縫うようにスイスイと走り抜けてゆく自転車。
それを邪魔臭そうに押しのけるが如く走る自動車。
正直、聞き覚えのない街の名に不安を感じていたが、どうやら杞憂(きゆう)だったようだ。
御一新と呼ばれる明治維新から半世紀。
世が『大正』と改まってからは、既に数年が経つ。
急速な近代化の波は、その間に帝都から遠く離れたこんな場所にまで押し寄せてきているようだ。
寂れた所なのだろうと覚悟をしていただけに、悠志郎は一目見てこの街が気に入ってしまった。
本屋の一軒もないような街では退屈で仕方がない。
『さてと……』
有馬神社はここからバスに乗って十分くらいのはずだ。
バス停を探して再び辺りを見まわした悠志郎は、すぐに目的地へ向かうバスを見つけることができた。
荷物を抱えたまま乗り込んで空いている席に座ると、発車時刻が迫っていたのか、すぐに扉を閉めて走り出した。
前髪を風に遊ばせながら流れる風景を眺めていると、モダンな建物は普通の民家へ、そして黄金の穂をたわわに実らせた田園へと変わっていく。
重たげに頭(こうべ)を垂れた穂が穏やかな風になびく様は、ずっと眺めていても飽きることはなかった。
悠志郎の家の近辺ではあまり見られなくなった景色だ。
……目的地である『有馬神社前』でバスを降りると、バス停のすぐ側にあった巨大な鳥居が悠志郎を迎えた。
その先には境内へと続く長い石段が続いている。思っていたよりも大きな神社のようだ。
最近はあまり身体を動かしていないせいか、これを上がって行かなければならないと思っただけで疲れてしまいそうであった。
だが、いつまでもここにいるわけにもいかない。
悠志郎は仕方なく外鳥居をくぐり、紅葉がゆっくりと舞い降りる中を、ひとつ、またひとつと足を踏み出して石段を登り始めた。
『ふぅ……やっと着きましたね』
石段を登り終えると、悠志郎はほっと息をつく。帝都からの長い旅路の末に、ようやく目的地へと辿り着いたのだ。
それなりに感慨深いものがあった。
『えっと……』
正面には本堂が見える。堂々とした造りで、組み上げられた木の質感からここの歴史が伺えるようだ。
視線を手前に戻すと左に手水舎があった。
清水がこんこんと湧き出している様に喉の渇きを覚え、悠志郎は柄杓で水を汲んで手を清めると水を戴くことにした。
正面の本堂に向かって右には社務所があり、閉じられたガラス戸の向こうに破魔矢やお守り、おみくじが置いてあるのが見える。
手水舎の向こうには絵馬かけと宝物殿、その奥に続く道があった。
母屋があるとしたら、おそらくそっちの方だろう。
『しかし……静かですねぇ』
神社には全く人気がない。
嵐の前の静けさならぬ、祭りの前の静けさ……といったところか。
そう思いながら辺りを見まわしていると、悠志郎はこの神社の風景に、ふと不思議な懐かしさを感じた。
ここに来るのは初めてのはずなのに……。
まあ、境内の造りは場所によって違うが、雰囲気というものはあまり変わるものではない。
宮司の息子として生まれ、境内を遊び場として育ってきたのだから、そう感じるのも無理はないだろう。
悠志郎は自分にそう言い聞かせると、母屋を探すことにした。
『ごめんください!お約束をしていた嘉神悠志郎と申しますが!』
悠志郎は何度目かの同じ言葉を口にしていた。
母屋を見つけたのはよいが、扉は固く閉ざされ、中には人の気配がない。
社務所も無人であったので、無礼を承知で縁側から中を覗いてみたが、やはり誰もいないようである。
懐中時計で確認すると、約束の時間を二十分ほど過ぎている。
急な予定でも入ってしまったのだろうか?
……ならば、せめて扉に置き手紙でも残しておいてくれればいいのに。
悠志郎は多少恨めしく思いながら、地面に鞄を転がしてその上に腰を掛けた。
長旅で軽い疲れを感じていたせいもあって、すぐに眠気が襲ってくる。
いいさ、このまま寝てしまえ。
そのうち誰か帰ってくるだろう、と気軽に考えた悠志郎は、そのまま睡魔に身を委ねてしまうことにした。
思っていたよりも疲労していたらしく、眠りはすぐに訪れた。
汽車の中の夢とは違い、今度は暖かな優しい光に包まれた世界へ誘われる。
そこに広がるのは光と海だけという不思議な世界だ。
悠志郎は、どこまでも続く水面にたったひとりで佇んでいた。
自分は夢を見ているのだ……という意識はあったが、思うように身体を動かすことができない。
だが、何故か不安は覚えず、ただ安らぎだけを感じていた。
母の胎内もこのような場所なのだろうか……?
そう思いながら、意識を辺りに飛ばした時。
光を反射して白く光る水面に何かが降り立った。