『月陽炎~真章・銀恋歌~』-13
14 朝食後、悠志郎の有馬神社での仕事が始まった。
秋祭りの準備のため、過去の帳簿をめくりながら数字を抜き出しては算盤(そろばん)を弾き、今年の規模にそった予算を考えて書き出していく。
基本的には実家で行っている祭りの準備と大差はなかった。
もっとも、悠志郎は初日ということもあってかなり楽な仕事を与えられている。
一番重要で面倒な、役場やテキ屋等との打ち合わせは鈴香がひとりで仕切っているのだ。
一哉が手伝えない以上、鈴香がやらなければならないのは当然だが、たまに訪れる参拝客にお守りやおみくじを売りながら、黙々と自分の仕事をこなしている。
その姿を見ると、自分より年下なのに大したものだ……と思わざるを得ない。
トントン。
不意に社務所の扉が叩かれた。
『あ、あの……っ』
裏手にある入口から姿を現したのは、帳面を抱えた柚鈴であった。
『柚鈴……どうしたの?』
鈴香が意外そうな顔をして柚鈴を見た。
普段ならともかく、悠志郎がいることを承知で社務所に顔を出すとは思わなかったのだろう。
『あの……えっと……姉様……ちょっと、いいかな……?勉強、分からないところがあって……その……っ』
『え、ええ……じゃあ、ちょっと待ってちょうだい。すぐ部屋に行くから』
『ううん……ここでいいよ……』
『だって……』
鈴香はちらりと悠志郎を見た。
鈴香が何を気にしているのか悠志郎にも理解できた。
本来なら気を利かして席を外すべきなのだろうが、仕事中の身としてはそうはいかない。
『……本当にここでいいの?』
『う……ん、いいよ……』
鈴香の問い掛けに、柚鈴はしっかりと頷く。
『じゃあ、そこで……』
柚鈴はコクリと頷くと、鈴香が指差した入口に一番近い長机へ腰を下ろした。
何やら落ち着かない様子でもじもじと身体を動かしながら、時々、悠志郎の方をちらりと見る。
だが、視線が合うと慌てたように俯いてしまう。
『それじゃ悠志郎さん、しばらく窓口の方お願いできますか?』
『心得ました』
悠志郎がそう答えると、鈴香は柚鈴の隣に座って帳面を覗き込んだ。
『それで、何処が分からないの?』
『えと……ここの問題なんだけど……』
『ここはね……この主人公の気持ちを追うと分かるはずよ。例えば……』
どうやら国語の問題らしい。
鈴香の教え方はとても丁寧で要点を押さえたものであった。
ちゃんと説明の基礎も理解しているようで、柚鈴が何処が分からないのかを的確に把握しているらしい。
これなら柚鈴が学校に行けなくても学業に支障はなさそうだ。
だが、いくら勉学ができたとしても、人が集まる場所でしか学べない大事なことがあるのも確かなのである。
『……と、こうなります。分かった?』
『あっ……えと……ご、ごめん……もう一回お願い』
『ふぅ……。やっぱり柚鈴の部屋に行きましょう?』
『だ、駄目っ!』
鈴香の提案に、柚鈴はいきなり大声を上げた。
『柚鈴……?』
『あ……ごめんなさい……えと……お願い……姉様、ここがいいの』
『言い出すと聞かないわね、柚鈴は』
鈴香は諦めたように言うと、再び最初から説明を始めた。
そうして小一時間ほどが経った頃、ようやく疑問点が解消されたのか、柚鈴は鈴香に礼を言って社務所を出て行った。
『お手数おかけしました。売り子、代わります』
『あ、終わりましたか?』
『ええ。なんとか』
『すみません。私、席を外した方がよかったですね』
柚鈴が中々集中できない理由が自分にあることを承知していた悠志郎は、なんだか申し訳ない気分になった。
『いえ、そんなことはありません。それに悠志郎さんが席を外してしまうと売り子がいなくなってしまうではありませんか』
『はあ……』
だからこそ敢えて居座り続けたのだが、そう簡単に割り切れるものでもない。
『それに……悠志郎さんがここにいることが、あの子にとって一番大事だったのでしょう。あの子なりに、頑張って悠志郎さんに応えようとしているんだと思います』
『私に応える……?』
『悠志郎さんみたいに、何度もあの子に話し掛けた人は、他にひとりしかいません』
悠志郎は昨日出会った少女のことを思い出した。鈴香の言っているひとりとは、おそらくあの双葉という娘のことなのだろう。
『悠志郎さんは、あの子の体質を知った上で何度も笑いかけていたではありませんか?』
『はは……どうにも不憫に思えましてね』
『同情だけでもかまいません。どうかあの子のこと、見捨てないでやってください』
『見捨てるだなんて……そんなことしませんよ。柚鈴さんが嫌がっていないのなら、私は今まで通り変わりませんよ』
『ありがとうございます』
鈴香はそう言って、頭を下げると少し表情を和らげた。