『月陽炎~真章・銀恋歌~』-12
13 『随分とよいご身分だこと。お帰りになったらちょっとお話があるのですけど』
『ひっ……!ね、姉さまごめんなさぁいっ』
ついに美月が飛び起きたようだ。
布団をはね除け、ドタバタと室内を走りまわる音が聞こえてくる。
『布団から出たらきりきり着替える』
『あうっ、は……う?』
『まったく……いつもこうなんだから。大変ね、あなたをお嫁にもらう人は……』
『そこかぁぁぁっ!』
ガラッ!
勢いよく障子が開くと、美月はそこにいた悠志郎をめがけて蹴りを入れてきた。
まどろんでいる時はともかく、さすがに目覚めた後までは声色に騙されなかったようだ。
『……朝から元気ですね、美月さん』
美月の蹴りを受け止めながら、悠志郎は笑みを浮かべる。
『その気色悪い声真似やめなさいよっ!』
受け止めた足がふわりと離れた瞬間、膝下が不規則な軌道を描いて、再び悠志郎に襲い掛かってくる。
武術でもやっているのかと思えるほど鋭い蹴りだ。
父親から武芸一般を仕込まれていなければ、とても受け止めることはできなかっただろう。
『くっ……あたしの蹴りを全部止めるとは中々やるじゃない』
『本気で殺意を感じたんですけど……』
『当たり前でしょっ!至上最悪の朝よっ!』
美月はそう言うと、今度は鉄拳を振るってきた。
『おわっ!あ、危ないではないですかっ』
『やっかましいっ!あたしの全身全霊を掛けて、今ここで死なすっ!』
美月が低く構えて再び蹴りの姿勢に入ろうとした時。
『朝から元気だこと……』
悠志郎の声色ではなく、正真正銘の鈴香の声が廊下に響いた。
『ひっ……!ね、姉さま……』
『随分女の子らしい仕草だこと……。まるで大和撫子の鏡ですわ』
『あ、あうっ……だってっ、悠志郎がっ!』
美月は慌てて姿勢を正すと、泣きそうな顔になって言い訳の言葉を口にした。
その様子を見て、鈴香はふうーっと溜め息をつく。
『あなたが起きないことに原因があるのでしょう?……まあ、いいわ。とりあえず着替えなさい。学校が終わった後でたっぷりとお話があります』
『ひぃんっ!』
なんだかかえって悪いことをしたような気もするが、原因の大半は美月自身にあるのだから致し方ない。
悠志郎は美月の報復が来る前にこの場を立ち去ろうと後退ったが……。
『悠志郎さん』
『は、はいっ!なにか……』
静かな鈴香の声に呼び止められ、悠志郎はその場で硬直した。
『今日から仕事を手伝っていただきますが、私の方は少々用件が込み入っておりまして、色々とご面倒をおかけすることになると思います』
『は……承知しました』
『それでは失礼』
鈴香は悠志郎と美月に背を向けると、そのまま何事もなかったように廊下を歩いていく。
なんだか妙な威圧感のある人だ。
悠志郎は美月と視線を合わせると、肩をすくめてみせたが……。
『ふーんだっ、あっかんべーっ』
彼女は悠志郎に対する敵意をなくしていなかったようだ。
『あの……後ろを見た方がよろしいですよ』
『あ……』
悠志郎の指摘に、美月はあっかんべーの体勢のまま全身を凍らせた。
彼女のすぐ背後には、いつの間に戻ってきたのか、鈴香が表情を強張らせて美月の様子を見つめている。
『あなたという子は……』
むんずと襟首を掴んだ鈴香の目に、見た者を萎縮させる何かが浮かんだ。
『わ〜っ!や〜〜っ!許して姉さま〜〜っ!!』
『……………』
哀願虚しく、美月はずるずると悪戯猫のように部屋へと引きずられていった。
あの手の人が無言になることほど恐ろしいことはない。
自分も接し方には十分気をつけようと誓う悠志郎であった。