『月陽炎~真章・銀恋歌~』-10
『まぁ、慌てずに。私は秋祭りまでは滞在するのですから』
『そうですよね……分かりました。またお話を伺いに来ますっ!』
『ええ。お待ちしておりますよ』
『それでは、ごきげんようっ!』
元気よく言うと、双葉は軽く手を振り、石段を駆け降りていった。
人見知りする柚鈴の友達というだけのことはあって、どこか変わった娘だ。
悠志郎は彼女の後ろ姿を見送りながら、そっと溜め息をついた。
『ですから……存じないと先程から申しているではありませんかっ』
双葉と別れて母屋に戻ると、玄関の方から穏やかならぬ声が聞こえてきた。
そっと玄関の方を窺ってみると、そこには見知らぬ男ふたりを相手にした鈴香の姿があった。
なにやら苛ついた様子で男たちを睨みつけている。
『どんな些細なことでもいいんですよ、ご存知ないですか?』
『事件が起こっているのはこの境内近くなわけでしてねぇ。神事に携わる人間を疑うのは私たちも気が引けるのですが……』
『その台詞……もう八回伺いました』
『ですから一度署の方にお越し頂いてですね……』
『そうそう。万が一と言うこともありますし』
『いい加減にしてくださいっ』
いつもの穏やかな様子とは違い、鈴香の口調には明らかに怒気が含まれている。
事情はよく分からないが、彼女がどうして苛立っているのかは会話を聞いているうちに理解できた。
男たちは言葉こそ丁寧だが、何度も同じことを繰り返し、まるで鈴香を怒らせようとしているかのようだ。
その態度は慇懃(いんぎん)無礼と言ってもよい。
『おや、お客様ですか?』
悠志郎は廊下の角から身を乗り出すと、笑みを浮かべながら玄関の方へと近付いた。
余計なお世話かもしれないが、このまま放っておくのは忍びない。
『悠志郎さん……』
鈴香は悠志郎を見て、驚いた表情を浮かべた。
『何やら、剣呑な雰囲気でしたのでね。こちらの方たちは?』
『……招かざる客、と言ったところです』
鈴香が吐き捨てるように言うと、
『いや、手厳しいですなぁ』
『私たちは警察の者でして……』
ふたりの男は、現れた悠志郎を値踏みするように見つめた。
『ははぁ、刑事さんですか。お役目ご苦労様です』
『失礼ですが……あなたは?』
ふたりのうち、中年の刑事が訊いてくる。
『申し遅れました。私、帝都から参りました嘉神悠志郎と申しまして、しばらくの間こちらにご厄介になります』
悠志郎がそう答えると、刑事たちは互いに顔を見合わせた。
『嘉神さんは……この街にはいつごろから来られたのですか?』
『今日の正午頃ですが、それが何か?』
『いえ……別に。参考までにお訊きしただけです』
『刑事さんたちは何を調べておいでなのです?』
『それはですね……』
刑事たちは躊躇するように口ごもったが、
『この辺りで起きている猟奇殺人事件についてお調べなんです』
鈴香が嫌悪感を隠しきれない様子で言い放った。
『猟奇殺人……?』
『はあ……まぁ、そういうことです』
悠志郎が問うような視線を向けると、刑事は仕方なくという感じで、この近辺で起こった事件のことを語り始めた。
この街では定期的に若い女性が襲われ、殺害されるという事件が続いているらしい。
しかも、その殺害方法は全身から血液を抜いて衰弱死させるという猟奇的なものだ。
最近では特に発生件数が多くなり、地元の警察としては一刻も早く犯人を挙げなければ、威信に関わるという状況なのだろう。
『…如何です?帝都から参られた方なら、我々田舎警察よりも殺人事件に関する見聞が広いのではありませんか?』
若い方の刑事が、どこか皮肉めいた口調で悠志郎に尋ねてきた。
なにか帝都に対する劣等感でもあるのだろうか?笑ってはいるが、帝都という言葉を口にする時の表情は、とても友好的なものとは思えなかった。
『しかし……私は素人ですからね』
『なるほど、素人では仕方がない』
若い刑事は、くくくっと喉を鳴らすように笑った。
中年の刑事が窘めるように肘で突つくが、彼はにやにやと笑ったままだ。
こんな相手に対して、これ以上礼儀正しく接する必要などない。
『それで……玄人の刑事さんたち。捜査の方は如何なんでしょうかねぇ?』
『ですから、こうやって目撃情報や詳しい事情を伺おうとやって来ているわけで……』
『ほう、詳しい事情ですか?鈴香さんは先程から知らないとおっしゃってますが、はてさて、こちらの警察の方は同じ台詞を何度も聞かないと覚えられないのでしょうか?』
『ちょ、ちょっと……悠志郎さんっ』
悠志郎の毒のこもった台詞に、鈴香は慌てて口を挟んだ。
案の定、若い刑事はムッとした表情を浮かべている。