きっかけ-7
「エアコンが効いているといっても、やっぱ冬だしね。ごめんね。あ、そうだ。ちょっと待ってて」
そう言って、今度はキッチンのほうへと歩いて行った。
ケトルをセットし、冷蔵庫から何かを取り出す音がする。
なんだろう?
しばらくして戻ってきた彼が手にしていたのは、耐熱グラスにシルバーの持ち手がついた、シンプルなふたつのマグカップ。
「はい。アイリッシュコーヒー。あたたまるよ」
「わあ……ありがとうございます。これって、ふつうのコーヒーとは違うんですか?」
ふんわりと白いクリームが浮かべられたコーヒー。
ふくよかな香りにホッとする。
「アイリッシュウィスキーが入ってる。お砂糖も入ってるから、甘めのホットカクテルだよ」
アイリッシュウィスキー。
アイリッシュコーヒー。
なんて大人っぽい響きなんだろう。
こんなオシャレなホットカクテルをさっと作れちゃうなんて、ほんとうになんてかっこいいひとなんだろう。
「──あっ、おいしい!」
コーヒーといっしょに、生クリームがくちの中に入る。コーヒーの深い苦味にウィスキーのコク、それから甘くてふわふわのクリームがなめらかで……飲みやすくてとてもおいしいカクテルだと思った。
あたたかさが喉へ落ち、耳のあたりまで広がっていく。
初めての味だった。
緒方さんが満足そうに微笑みながらベッドに腰掛ける。
あぁ、もうほんとうにまるでドラマだ。こんな経験、したことがない。
「よかった。好きで、よく作るんだ」
最高の笑顔。この笑顔をひとり占めしていることに酔いを感じる。アルコールの酔いとは違ったものだった。
「緒方さんって、飲むものまでオシャレでかっこいいんですね」
「変な感想だな、そりゃ」
「だってだって。ほんとうに、かっこいいんですもん。どうしてわたしなんかにこんな素敵なことをしてくれるのか、謎ですもん。緒方さん、モテるじゃないですか。わたしなんか、全然、緒方さんに釣り合わないですし──」
「馬鹿」
こつん、と緒方さんがわたしのおでこを小突いた。
わたし、こういうシーンを知ってる。少女漫画に出てくる王道のイチャラブシーン! やばい、イケメンは素でこういう技(?)をさりげなく繰り出してきて、女の子をメロメロにしちゃうんだわ──なんて、興奮しながら思っちゃった。
「わたしなんか、なんて言うなよ。真緒は美人だし、仕事も一生懸命こなすがんばり屋さんじゃん。名取に言われちゃったけどさ、真緒が入社してきた日、ほんとうにマジで好みの子が入ってきたってテンションあがったからなぁ、俺。それに、真緒ってすごく字が綺麗だよね。書類に挟まれたふせんとか、電話メモとかいつも綺麗な字だなーって思って見てる」
ふわりと、胸の奥のほうにあたたかいものが広がっていく。ホットカクテルのあたたかさとは違った熱度。
いつも目で追っていた上司が、自分の知らないところで自分のことを見てくれていた。
胸がいっぱいになる。
まるで、大輪のひまわり畑の中を走っているみたい。
頬が上気する。
太陽の眩しい光と大きなひまわりの花びらが目の前に見えるような気さえした。
うきうきと、踊りだしたくなるような高揚感を覚える。
「わたし──わたし、幸せです……」
あんなに大嫌いだったお習字が、初めて報われたような気がした。
嫌で嫌でたまらないのに辞めたいと言い出せず、毎週お稽古に通っていた小学生の頃の自分をぎゅっと抱きしめてあげたい。
わたし、よくがんばってきたね!
間違ってなかったよ、あのとき辞めずに続けていてよかったよ!
「自信持てよ」
首がちぎれそうになるくらいに頷いたわたしの頭を、彼がぽんぽんと優しく撫でた。
「これを飲んだら、シャワーを浴びておいで。タクシーを呼ぶから」
「えっ、もう帰らなきゃ──ダメですか?」
「これ以上その格好でいられると、またヤリたくなっちゃうからね。真緒、実家住みだろ? 親御さんが心配するからね」
「わっ、わたし、もう子どもじゃないんですよっ」
「わかってるよ。おっぱいもこんなに大きいんだしな」
「そっ、それは──」
「外泊は、俺が真緒の親御さんに挨拶してから。そのほうが親御さんも安心するだろ? 今度、明るい時間に伺うよ」