きっかけ-6
「そうだね、仕事中はケジメをつけておかないと、俺、真緒の隣にいるとうっかりキスとかしちゃいそうだし」
「えっ、そんな……」
困ります、と言いかけてくちごもり、慌てて、恥ずかしいですと言い直す。
ほんとうは、ケジメをつけるというより──緒方さんに好意を寄せている女性社員のひとたちの目が怖いからだった。
「真緒のここに書いたやつ、あとで写メ撮らせてね」
「えっ、写メですか?」
「そう。回数、記録しておきたいからさぁ」
「は、はぁ……」
「あ、今俺のこと、変なやつだって思っただろ?」
「えっ、そんなこと──ないですよっ」
ちょっとぐらい変でも、緒方さんがハイスペックイケメン上司であることには変わりない。
高学歴だし、次期部長だと言われているし、高身長だし、優しいしイケメンだし……。
それに。入社一日目の帰りのエスカレーターでいっしょになったときに、緊張しっぱなしでガチガチだったわたしに優しく声をかけてくれたこと、わたし、嬉しくて忘れられないんだよね──。
「俺ね、好きになった子には俺なしじゃ生きていけないような身体にしたくなっちゃうんだよね。と言っても、今まで途中で関係がダメになって別れてきたから、そんなことにはならなかったんだけど」
「……やっぱり、たくさんのひととお付き合いをされてきたんですか?」
「人数はそんなに多くはないよ。俺は、真緒を最後の女にしたいって思ってる」
ずるい。ずるすぎる。
ヤキモチを妬く暇もないくらい、ドキドキさせてくる。
悔しいくらいに、正確に射止めてくる。
歯が浮くようなセリフも、このひとが言うとぴったりとハマッていて少しもおかしくない。むしろさまになっていて、まるで自分がドラマの主人公にでもなったかのような気持ちになった。
「真緒は、俺の前にどんなひとと付き合っていたの?」
「えっと……大学のときに同じ学部の男の子と付き合っていました。サッカーが好きなひとで、よくいっしょにプロ選手の試合や高校生たちの試合を観戦しに行っていました。彼の就職先が地方になっちゃってしばらく遠距離恋愛をしていたんですけど、結局ダメになっちゃいました」
「そうなんだ。よかった、別れておいてくれて。そのまま付き合っていたら、俺、その男の子から真緒を奪わなきゃいけなくなっていた。欲しいものはどんなことをしても手に入れたいけれど、できればひとのものには手を出したくないからね」
緒方さんとあいつなんて、比べものにならないと思った。
だってあいつ、引っ越して一週間も経たないうちに仲良くなった同期の女の子と浮気していたし……。
そもそも、緒方さんとあいつを比べるなんて、緒方さんに失礼だわ。
あいつみたいな男はその辺にごろごろいるかもしれないけれど、緒方さんみたいなひとはなかなかいないはず。宝石と石ころ、高級タオルとボロ雑巾、手入れされた大輪の花とぼうぼうと生えているただの雑草くらいの差がある。
「真緒ってさぁ、ハーフかクォーター?」
「いえ、純日本です」
「そうなの? 色白で目もすごく綺麗な茶色をしていて透明感があるから、混ざってるんだと思ってた。でも、色白だけどすべすべだもんなぁ。外国人ってサメ肌も多いって言うからね」
そう言いながら、彼の手がわたしの背中をゆっくりと伝いおりてくる。
腰のあたりがゾクゾクとした。膝と膝を擦り付けるようにして身を縮める。
「ごめん、真緒の身体、ちょっと冷えちゃったね。羽織るものを持ってくるから待ってて」
そう言うと、彼はわたしの肩に手を置いてから立ち上がり、クローゼットのほうへ向かった。
あぁ……優しいし嬉しいんだけど──。
もう一度抱かれるのかと思って高鳴った胸に手をあてて、小さく深呼吸する。
はしたないわ……。
「これ、羽織ってて」
肌触りの良さそうなパーカーを受け取って袖を通す。彼もボクサーパンツだけだった身体に、ざっくりと編まれたブラックのロングカーディガンを羽織っていた。