煉獄にて-1
「――笑うな!!!」
宿の部屋に戻り、テーブルに突っ伏して笑い転げているリロイの足を、ファルチェは向かいから蹴っ飛ばした。
「だってさ……くくっ……うわぁ、可愛い! 僕に捨てられたって誤解して追いかけるなんて……可愛すぎてたまらないよ!」
「お、追いかけてない! お前が勝手にいなくなったんなら、あたしが見捨ててやると思って、念のために探しただけだ!」
「そういう事にしておくよ……くくっ」
「う〜っ」
これ以上ないニヤけてるリロイを、ファルチェは思い切り睨みつけた。
「はー、笑った……でもね、ファルチェの考えは最初から外れだ」
目端の涙を拭い、リロイが首を振る。
「最初から?」
「残念ながら、昨日見つけたのは、僕が求めていたものじゃなかった。また一から情報の集めなおしだな」
リロイは苦笑し、小さく溜め息をつく。
「で、でもっ! 大事そうになんかしまってたじゃん!」
ファルチェが食い下がると、リロイが今度はニンマリと口元を緩め、傍らに置いた自分の鞄を親指で示す。
「僕にとっては価値がなくても、今回の依頼主には、喉から手が出るほど欲しいものでね」
「え? 確か、警備隊のお偉いさんとかいう奴?」
「うん。あの書類は、警備隊を目の敵にしてた、反国王一派の貴族たちが加担している、悪事の証拠書類だったんだ。あれを上手く使えば、他の奴隷商や賄賂を貰っていた高官たちも全員消せる」
リロイはテーブルに頬杖をつき、深い青の瞳をゆったりと細めた。
「食料品の異常値上がりも、そいつらの仕業だったし、これで庶民の生活も少しはマシになるんじゃないかな。おじさん、大喜びだったよ。書類をすごーく良い値で買い取ってくれたから、当面の資金は心配ない」
「は……あ、そう……」
一気に脱力してしまい、ファルチェはぐったりと木の椅子に沈みこんだ。しばらく天井を睨んでから、迷った末にそっと声をかける。
「リロイは、何を探してるんだ?」
以前にも一度、リロイが何か探して旅をしていると知った時に、こうして尋ねた。
「うーん。悪いけど、内緒」
しかし、今回も返ってきたのは同じ答えだ。
(別に……期待してなかったけどさ)
少し面白くない気がして、ファルチェは不貞腐れた顔でそっぽをむく。
「……と、言いたいことろだけど」
「え?」
思わず顔を向けると、食えない笑みを浮かべたまま、リロイがテーブルの向かいで手招きをしていた。
「ファルチェ、おいで」
「う……」
膝をポンポンと叩いて促され、ファルチェは喉奥で呻いた。なんか、すごく嫌な予感がする。
「ファルチェ?」
しかし、もう一度催促するように呼ばれると、ファルチェの足はフラフラとそちらへ向ってしまう。
「ん……良い子だね。今日は本当に焦ったよ」
膝に乗せたファルチェを、リロイが後からぎゅっと抱きしめる。
すると、やっぱり心臓の奥がむずむずして、ファルチェは眉根を寄せた。反射的に身を捩ろうとした瞬間、耳元で小さく囁かれた。
「詳しくは言えないけど……僕が、僕の犯した罪を許すために、どんな手を使っても手に入れなきゃならないものなんだ」
「……え?」
思わず肩越しにリロイを振り仰ぐと、そのまま片手で顎を掴まれた。もう片手は、衣服の上からファルチェの左胸を掴む。
「ちょっとお仕置き。ここをいっぱい、ムズムズさせるから」
リロイがニヤリと笑い、抗う間もなく唇が重なる――けれど、『ご褒美』じゃなかった。
奴が『褒美を与える』と念じなければ、体液は飢えを満たす効力を持たない。
重なる唇の隙間から、滑り込んできた舌に口内を掻き混ぜられても、頭が痺れて溶けそうな満足感は得られない。
その代わり、むずむず疼く心臓が、更にきゅうっと締め付けられるような感覚がして、変な気分なのに、もっと味わいたいと思ってしまった。
「ん……っ」
わけが解らず、ファルチェは目を瞑ってリロイのシャツを握り締める。
(煉獄……天国にも地獄にも行けない魂……か)
混乱気味の頭の中で、老司祭の言葉が蘇る。
無数の死者たちからこの世に生まれてしまったファルチェは、まさしく天国にも地獄にも行けなくなった魂という奴だろう。
煉獄が、その魂を苦罰の炎に焼くというのなら、正体の解らぬ飢えに焦がれて苦しみ続けるこの世こそが、ファルチェにとっては煉獄になるのかもしれない。
リロイに初めて会った時、そのまま殺されていれば、もしかしたら他のどこかへ行けたのだろうか。
コイツが短剣を突き立てた時に言った言葉の意味が、少しだけ解ったような気がした。
(でもさ……リロイ)
こんなの変だと思いつつ、どうしてもこう思ってしまう。
――リロイと一緒なら、この煉獄もまぁ、そんなに居心地悪くないんだ。
終