奴隷商人の館にて-3
「ほれ、お客様がお待ちだ。全員、首輪をつけて外に出ろ」
背後の大男たちに顎をしゃくった黒服は、ふと、裸足でペタペタと自分から歩みよってくるファルチェに目を留めた。
「良い心がけだな。お前は上玉だし、そうやって買われた御主人様にも素直に従えば……」
目にも止まらないほどの速さでファルチェが腕を振い、無数の赤い飛沫が飛び散った。
黒服は腰元を斜めに分断され、ズルリと滑り落ちた上体が、石床に臓物をぶちまける。
ファルチェは素早く右腕を一振りし、こびりついた血を払った。
彼女の左右の手は、肘の付け根から純白の大きな鎌と化していた。
まるで、蟷螂の化物のような姿だ。
二人の大男は、何が起こったか瞬時に理解しかねたようだが、腐っても闇犯罪と暴力でで飯を食う人間というところか。
次の瞬間には二人とも首輪を放りなげ、腰の剣を抜き放った――が。
ファルチェが反対側の手を一閃する方が早かった。
剣を握ったまま、ごとんと四本の太い腕が床に落ちる。
続いて、絶叫しようとした大きく口を開いた二人は、顎の上下を分断されてそのまま後に倒れた。
「ひっ、バ……化物!!」
「いやあっ! 助けて!!」
金きり声で悲鳴をあげる少女たちを、ファルチェは肩越しに振り返って睨んだ。
「煩い。リロイが、お前らは殺すなって言うから殺さないよ。アイツが来るまで、そこで固まってプルプルして……ろっ!」
ゾワリと首筋に悪寒が走り、ファルチェは飛びのこうとしたが、駄目だった。
「お疲れさま、ファルチェ。迎えに来たよ」
靴からマントまで全部黒ずくめの青年が、ファルチェを後ろから抱きしめて、グリグリとほお擦りをする。
青年は、マントのフードを目深に被っているうえ、黒いマスクで顔の下半分も覆い隠していた。
「ぎゃああ! バカバカ! リロイ、やめろっ!」
ファルチェは悲鳴をあげて、ムカつく男を押しのけようとした。
他の奴が相手だったら、なんなく距離をとれたどころか、腕の鎌で相手の首を掻っ切れただろう。
なのに――リロイだとなぜか駄目なのだ。
華奢な見かけをした、このクソったれ魔法使いは、嫌になるほどしぶとくて……強い。
「いい加減、離せ!」
ファルチェが必死で顔を振って抵抗すると、リロイのフードがずれて後ろに落ちた。黄金色の柔らかな髪がふわりとファルチェの頬をくすぐる。
壁際の少女たちが、いっせいに息を呑んで頬を赤らめた。
ファルチェにはよく理解できないのだが、リロイはどうやら美青年というものに属するらしい。それも、かなり高いランクのようだ。
マスクで口元が隠れていも、少女達はリロイの整った眉や涼やかな目元に、すっかり見惚れている。
「あ、貴方が……私たちを助けてくれるんですか?」
眼をうるうるとさせているベルタに、リロイがにっこりと深い青の瞳を細めた。
「そのうち警備隊が来るから、ちょっと大人しくしててね」
そう言うと同時に、リロイがポケットから卵のようなものを取り出し、少女たちの足元に投げた。
「えっ!?」
硬い床にぶつかったそれは、本物の卵のようにあっけなくカシャンと割れ、中から薄緑色の煙が勢いよく吹きだす。
少女達はたちまち煙に包まれたかと思うと、糸の切れた人形のように次々と倒れてしまった。
「さ、行こうか」
リロイは足元に転がる男たちの死体を避けながら、ファルチェの手を引っ張って部屋から引きずりだし、急いで扉をしめてしまった。
「殺すなって言ったくせに」
頭一つ背の高いリロイを見上げて、ファルチェは文句を言う。
わざわざ売り物へ紛れ込んだのは、あの少女たちが下手に逃げたりして殺されないよう、見張るためでもあったのに。
「即効性の眠り薬だよ。効果が強いぶん、起きてからしばらくは頭痛が辛いし、ここ数日の記憶も吹っ飛んじゃうけど」
リロイは眼で弧を描いて笑いながら、廊下の先を示した。
「あの子達まで殺したら、報酬を貰えなくなっちゃうよ。僕だって人並みに、お金は必要だしね」
リロイが降りてきたらしい階段と、そこから部屋に続く廊下には、用心棒らしき武装した男たちが何人も死体となって転がっていた。
喉を切裂かれた者が殆どだが、中には強酸を浴びたように溶かされていたり、内側から破裂しているのもいる。
「お前が人並みって、笑えない冗談だ」
ファルチェがボソッと言うと、リロイがおかしそうに首をかしげた。
「へぇ、随分と人間を理解したみたいな口ぶりじゃないか」
小馬鹿にしたその口調が頭にきて、ファルチェは言い返す。
「今さっきだって、理解できないってことを理解したさ。あいつら……」
「はいはい、後でゆっくり聞いてあげるから。さ、お仕事だよ」
リロイはファルチェの頭をポンと叩き、フードを被りなおすと、さっさと廊下の奥へと向かってしまう。
ファルチェは思いきりしかめっ面をしながら、揺れる黒いマントの後ろへ小走りに続いた。