ストーカー-1
帰宅してバスルームで海の香りに包まれながらシャワーを済ませると、美紀は夜、寝る前の日課になっているメールの確認をするためにパソコンを開いた。
美紀が出会いのために取得したウェブメールの一覧には『貴女へのメッセージがあります』という『ハッピーメール』からのメッセージがずらりと並んでいる。美紀はうんざりした気分で『ハッピーカップル』のサイトを開き、マイページに移動した。受信欄には、相変わらず身体の関係を求める、おそらく露骨な書き込みのたくさんの男性からのメッセージが並んでいた。
「えっ?」
美紀が小さく叫んだのはその中に『ヒロユキ』からのものが数件あったからだった。
彼女は思わずそのメッセージを開いた。
『明日会おう。君の仕事が終わる夕方6時、シネコンの入り口で待ってる』
「(なに? この人強引。もう断ったはずなのに……)」
桂木がわざわざシネコンの入り口を指定したのは、もしかしたら自分の仕事先を知ってのことだったのかも知れないと考えると、美紀は背中に寒気が走るのを禁じ得なかった。それに明日の勤務は5時半で終わる。あの中年男はそこまで自分の予定を知っているのだろうか、と彼女は言うに言われぬ恐怖感を抱かざるを得なかった。
明くる日、美紀は仕事中もずっと落ち着かなかった。あのロマンスグレーの黒縁眼鏡を掛けた男が、店の前をうろついているのではないか、と気が気ではなく、仕事中何度も店の外をホールの大きなガラス窓越しに見やった。
美紀の心配は的中した。『マリーズコーヒー』での仕事を終え、スタッフルームで着替えを済ませた彼女が店の裏口を出た時、出し抜けにケータイに電話がかかってきた。見たことのない番号だった。美紀は躊躇いながらも、通話ボタンを押した。
「はい……」
『僕だ。桂木だ。約束通り、シネコンの前にいる。おいで』
美紀は教えたはずのない自分のケータイ番号を桂木が知っていたことに、激しい憤りを感じていた。
「あ、あの、あたしもう貴男とは」震える声で美紀がそう言いかけた言葉を遮って桂木は言った。「とにかく話をしよう。来るんだ」
美紀はこの場は逃れられないと観念した。そして青ざめた硬い表情のまま、シネコンに向かうプロムナードを歩き始めた。
桂木は初めて会った時と同じスーツ姿で立っていた。口元には怪しげな笑みが浮かんでいる。美紀はこの際はっきりと、もう会わないと告げようと決心していた。
美紀は桂木の前に立った。
「何ですか? お話って」
「また会えて嬉しいよ」
「どうしてあたしがあの店に勤めていることをご存じなんですか? それに電話番号や今日の勤務時間まで」
桂木は肩をすくめた。「君があそこで働いていることは偶然知った。僕も仕事でちょくちょくこのシネコンに足を運ぶから。君が5時半で仕事が終わることは今朝、店長に聞いた。電話番号も。君が出勤する前にね」
美紀は桂木を睨み付け、唇を噛みしめた。
「なかなかいい店じゃないか。店長が親切で頼りになる」桂木はいやらしい顔でにやりと笑った。「さあ二人きりになれるところに行こうか」
美紀はめまぐるしい勢いで考えた。強引に自分をホテルに連れ込もうとしているこの男から縁を切るにはどうしたらいいのだろう。お互い大人だし、きっと話せばわかってくれるはずだ。
「あの、お話でしたら、そこのファミレスで」
桂木はあからさまに不機嫌な顔をして、しばらく黙って美紀を見つめた。そして低い声でゆっくりと言った。
「わかった。そうしよう」