拾誘翅-1
戦は午(うま)の刻(正午)前後に始まった。
まず、豊臣方の先頭にいた毛利勝永勢六千五百と徳川方の先陣本多忠朝勢五千五百が激突。毛利は強く、敵将忠朝を討ち取って本多勢を潰敗に至らしめる。二番手榊原康勝ら五千四百が立ち塞がるも毛利の勢いは止まらず相手を敗乱させる。さらに三番手酒井家次ら五千三百も勝永の猛攻で混乱に陥り壊走。ついに戦塵の彼方へ家康本陣が見えるという思いも掛けない事態が生じていた。
この毛利奮戦の西方で、幸村勢八千は松平忠直勢一万五千と銃撃戦を展開していた。
数は松平勢の鉄砲が勝っていたが、射撃の腕は真田が優っていた。筧十蔵は余人に真似の出来ぬ早撃ちを繰り返し、娘の飛奈も妙技とも言える連射で敵を倒していた。他の撃ち手も「鉄砲の雑賀衆」の面目躍如であった。
多勢に善戦している幸村は、ここぞとばかりに情報戦も仕掛けた。海野六郎を使い「浅野長晟勢五千が豊臣方に寝返ったぞ」と、敵に虚報を流したのである。浮き足だつ松平勢。そこへ穴山小助と根津甚八が一千ずつ引き連れて突っ込んでゆく。二人とも大将の幸村と同じ甲冑を着けているので敵は惑乱した。幸村の高名は西軍ばかりか東軍の端々まで浸透していたので、「鬼の幸村が先陣切って向かってくる」と怯えたのである。しかも鬼は二騎。狼狽する敵は二倍の恐ろしさに震え上がった。
松平の兵たちは幸村勢をよけるように東へ逃げ、そのまま北上。前が開けた幸村は今こそ好機と采を振り上げた。六文銭の前立が光り脇立の鹿角も天を衝く。
「狙うは家康の首ただ一つ! 者ども、懸かれーーーーーーーー!!」
六千の兵が突撃を開始した。穴山小助・根津甚八の千余もそれに続く。
毛利勢に蹴散らされた徳川方の榊原勢・酒井勢が何とか立て直して、左右より幸村勢を押し包む。このまま家康本陣に突入させてはならじと槍衾をこしらえ、鉄砲も斉射する。
幸村は穴山・根津両名の他に由利鎌之助と望月六郎も影武者に仕立て上げていた。紡錘形で突き進む幸村勢のあちこちに大将の姿が散見し、混乱した敵の鉄砲はどれを狙えばよいか迷った。そうしているうちにも真田の突進は続く。先頭では三好清海入道・伊三入道兄弟が柱ほどの太さの金棒をそれぞれ振り回し、当たる敵勢を薙ぎ払う。後方では筧十蔵・飛奈親子が揺れる馬上で鉄砲を放ち左右の敵将に鉛玉をくらわせていた。
榊原・酒井勢はさんざん押されていたが、何とか混乱から立ち直ると数では圧倒的に勝る鉄砲衆を押し出し弾幕を張って真田勢の足止めを図る。先頭の三好清海入道・伊三入道は身体に無数の銃創をこしらえ、続く兵らも肩や腕に弾を受け、胴丸を貫通されて腹を穿たれた。特に馬上の甲冑武者は狙われやすく、幸村の影武者である穴山小助・根津甚八・由利鎌之助・望月六郎は次々と被弾し、傷を負っていった。
幸村本人も弾雨の中に晒されたが、不思議と彼自身は未だ無傷であった。敵の弾が唸りを上げて迫ってくるも、幸村の寸前で掻き消えるのである。それが一度ならず何度もあるのだ。混戦のさなか、この摩訶不思議な現象に誰も気づく者はなかったが、これこそ千夜の行っている傀儡女秘術『影負ひ』の成果なのであった。
その秘術施行の場では次のような光景が繰り広げられていた。千夜と五人の傀儡女が手をつないで作る輪、その中心の虚空から鉄砲玉が突如現れ飛来するのである。宙から射出する弾の方向はまちまちで、久乃の腕をかすめるのがあれば音夢の肩に擦過傷をこしらえるのもあり、由利の耳をわずかに引きちぎるのがあれば早喜の側頭を一毛傷つけるのもあった。いつ自分に飛んでくるか分からぬ鉛玉に兢々としながらも傀儡女たちは懸命に誦文(じゅもん)を唱え続ける。こうして自分らが弾を引き受けることにより幸村は被弾を免れ、前へと進むことが出来る。敵勢を断ち割り家康に肉迫することが出来る。この思いで千夜と五名の娘らは一つになっていた。
家康本陣では彼方に迫る真田の赤備えの群れを見て「幾重もの味方を突破し、ここまで攻め寄せるとは」と震え上がる兵が続出した。槍を取り落とし、旌旗をうち捨て逃げ出す者まで出る始末。さしもの家康本人も首を獲られるよりは自害しようと短刀に手を掛ける寸前までいった。
しかし、弱卒が目立つ中、奮起する一団もあった。高坂八魔多率いる伊賀者たちである。彼らは果敢に幸村勢に打ちかかり、万卒には出来ぬ身のこなしで敵を倒していった。中にはくノ一も混じっており、碧玉の姿もあった。
彼女は身軽に混戦の中を擦り抜けると、真田の勇士の中でも最たる荒くれ、三好清海入道・伊三入道に戦いを挑んだ。剛力対俊敏である。碧玉は奮戦し、伊三入道の利き手を斬り落としたが、清海入道の金棒で頭を叩き割られてしまった。しかし、くノ一の死闘に刺激された伊賀者は続々と仲間を繰り出し幸村勢を斬り崩してゆく。
さらに、海野六郎の虚報に翻弄された松平勢一万余も立ち直り、後方から真田勢に襲いかかる。六文銭の麾下は前後から銃撃を受け、次々と数を減らしてゆく。それでも猛射の中、幸村は倒れることなく采を揮い、号令の声を張り上げていた。