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入社した電機メーカーの営業部で働く私に、教育指導担当としてついたのは3つ上の拓巳だった。
教育係を紹介されたとき、咄嗟に昔アルバイト先で仕事を教えてくれた先輩のことを思い出した。まくしたてるような早口で物を言う人だった。
覚えが悪く、ことあるごとにメモをとろうとした私。
「メモなんて覚える気の無い人がやることなの。体でちゃんと覚えて。一回で覚えて」「前にも言ったでしょ」とよく叱られた。
その当時の苦い記憶を振り払うかのように、私は拓巳の指導のもと、必死で覚えようとした。
あるとき、任せられた処理の入力方法がわからず、拓巳に聞いた。
その際、拓巳は言った。
「芹原さんが質問するのって珍しいね」と。そして丁寧に教えてくれた。
拓巳曰く、「前にも言ったよな、って言葉は新人を委縮させやすいから自分は言いたくない」のだと。それから、こうも言った。「些細な事でもいいから、わからなかったら今のうちに聞きな。自分もそうだったから」と。
拓巳の言葉を聞いたとき、なんともいえない安堵に包まれた。
営業部内でもよく課長からその功績を称えられていた彼。
職場の先輩として尊敬していた。それ以上でもそれ以下でもなかった。
その頃の私は、恋愛が駄目ならばと、仕事に打ち込もうとしていた。
恋人と幸せそうな友人をみては、羨ましいと思っていた。
人を好きになることさえ怖くなり、人の幸せを心から祝うこともできなかったのに。
ある日、拓巳に飲みに行こうと言われ、言葉に甘えるまま飲んで食事をした。
その日の丁度二日前には、どういう神経をしているのかかつて縁を切った友紀から、結婚式の知らせのハガキが来た。
実家に届いていたのをわざわざ両親が私の家まで送ってくれた。
新郎の顔は、誠司とは似ても似つかない男だった。
「私って、本当駄目なんですよ」
拓巳に連れて行かれた居酒屋で。
愚痴や自分の情けなさを吐露した。拓巳にどう思われるかなど全然気にしてもいなかった。
“仕事もソツなくやるし、弱音吐かなさそうな感じだったからびっくりした”と、あのころの話をするたびに拓巳は言う。
送り届けてもらっている最中、拓巳の肩に支えられているうちに、腕に絡みついてしまった情けない私。
“そんなに自分を貶めるなよ、悪く言うな”
そう慰められたのを今でも覚えてる。
気持ちをただ吐露し続けていると、途中で重ねられた唇によって、言葉は途切れた。
頭を抱えてくれる彼の手が。
受け止めてもらえたようで嬉しくて、ただそれだけのことがとても安心した。
もうこのまま、酔いに任せてしまえばいい。身体だけでもいい、そう思った。
気づけば唇を奪われていても、何とも思っていない自分に気付いた。
ホテルでどちらからともなく求め合い、ただ貪りあう日。
会社以外の彼なんて知らない。それでもいい。
相手が自分と会っていないときに何しているかなんて、もう考えたくなかった。
そもそも身体だけならきっと、そんなこと考えずにすむ。
本気にならなければきっと、傷つかずにすむ。好きなときに、好きなだけベッドで戯れる。
私と拓巳は条件が一致した。
彼女は面倒くさいから作らない、というのが彼の口癖だったから。
だけど。
最近の私はあんまり、そうでもなくなってきている。