ブックエンドと君の名前-15
しかし中澤は、やがて気が付いた。これは夢じゃない。現実の世界に『ブック・エンド』が流れているのだ。これはレコードじゃない。ひどい環境で収録されているあのラジオ番組だ。
中澤が顔を上げると、放り出した本の隣に中澤の家にあったポータブル・ラジオが置いてあった。黒いプラスチックに覆われ、艶ひとつない小さなスピーカーから頼りない音を排出している。中澤の隣には当然のことのように女の子が座っていた。
「やぁ」、と中澤は言った。
「こんにちは」、と女の子は言った。
中澤はしばらくのあいだ、ラジオから流れてくる音楽に耳を傾けながら女の子の顔をじっと眺めた。しかし読書室の中はやはり暗く、暗闇の中に女の子の影がかろうじて認められる程度だった。しかし中澤は、誰かが隣にいるというだけで気持ちが落ち着いた。
「名前というのはね」
と女の子は言った。はるか昔から引っ張ってきた平和な物語の続きのように、優しい響きがそこにはあった。
「すごく大切なもの。それを呼び合う相手が、私たちには必要だったんじゃないかって思うのよ」
中澤は頷きかけたが、暗闇の中ではそれを、きちんと言語に置き換える必要があった。
「君の名前を知りたい」
ふたりの背後にある窓は、焼けるようなだいだい色の風景をその外側に映し出していた。間もなく陽が暮れようとしている。そのあとにやって来る暗闇のことを、中澤はひとまず忘れることにした。構うもんか、と中澤は思った。暗くなったら蝋燭に火を灯せばいい。そこに照らしだされる小さな世界は、親密な空気で満ちているから。そして眠ろう。深い眠りの中で『ブック・エンド』を口ずさみながら。そして目覚めたとき、ふたりで長い、長い自己紹介をするのだ。誰にもそれを邪魔することはできない。たとえ空から馬鹿でかい石が降ってきて、僕らの体を砕き世界をふたつに切り裂いても。