〜 道徳・生命 〜-2
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最初のテーマは『かけがえのない自他の生命』だ。 『ひとつの生命を愛せない者に、自分の生命を愛せるわけがない(吉川英治)』や『人はいつか必ず死ぬからこそ、生を実感できる(ハイデガー)』というように、1つ1つの生命の価値を理解してこそ、社会の一員の要件を満たす。
ただ、ここで『かけがえのない価値』というのは、『かけがえがないほど高い価値』という意味ではない。 命に優劣はあるし、意味のない命も存在する。 単に『命以外では賄えないものもある』『命を当てはめるべき価値がある』という意味だ。 間違っても私達『牝』の命に、無限大の価値が無条件に認められているという意味ではない。
旧世紀医療は、とにかく『生命を繋ぐ』目的に重点がおいた。 一方、現代医療は『優秀な生命』の製造にある。 これらの医療が道徳的に正しいかどうかをケースごとに学ぶことで、私たちにも現代の生命観が分かってきた。 幼年学校時代の無邪気な道徳じゃない。 学園の道徳、つまり現代の道徳だ。 どこまでも冷徹な現実だ。
「助産の仕組みは紀元前からありました。 本国でも取り上げ婆、産婆さん、助産婦、助産師……名称は変遷していますが、すべて同じものです。 助産師とはいいつつも、当時から雌限定の職でした。 異臭を放つ膣と常に相対しなければならない、賤業の筆頭ですが、医療機関が未発達な時代は主流でした。 出産を介助し、励まし、難産を緩和する役目を果たす職業です。 この職業は、道徳的には『悪』ですね。 なぜなら、励ましや介助なしに出産すらできない劣等な雌であれば、その遺伝子に伝えるべき要素は少ないと考えられます」
「ローマのカエサルに由来する帝王切開ですが、カエサル自身の帝王切開誕生説は誤解です。 経膣分娩が雌の節制不足により困難な場合、腹、子宮を切開して胎児をとりだす医療ですね。 雌が尾骶骨(びていこつ)を過度に圧迫したり、過食または拒食、あるいは運動不足によって出産ができなくなる醜態に応じる手段であり、明確に『悪』といえるでしょう。 後世へ繋ぐ生命をつくる機会に半端な覚悟で臨む雌に、存在意義は認められません。 もっとも巨大児や異形の胎児であれば、出産時に配慮が必要になりますが、こういった胎児は遺伝的に劣等であり、産む必要はありませんから問題外といえます」
「自然流産とは異なり、人工的に胎児を有機物として取り出す手段を、中絶と称してきました。 宗教的な理由で旧世紀は悪とされがちでしたが、現代では『正』です。 後述しますが、子宮もまた大切な資源です。 早期に中絶することで健全な子宮を保てますし、マイクロアームを駆使する現代中絶は、まったく傷を残しません。 従って宿った生命に遺伝的欠陥が判明した場合、即刻中絶することが望ましいといえるでしょう。 もちろん人工的に自然流産する方が子宮への負担が少ないと判断された場合は、冷水に浸かる、過度に運動する、母体を殴打するといった方法で、母体流産にもってゆくことも理に適っています。 どちらを選ぶかはケース・バイ・ケースですね」
「精子と卵子が劣化した場合に、体細胞を利用してクローンをつくる技術。 旧世紀の先端医療です。 これは、どうでしょうねえ、現代の生体産業の主流ですから『悪』とまではいきません。 といって、この方法では『より優れた遺伝子』をつくる可能性に蓋をしており、『正』と言い切るのも難しいように思います。 今後の技術発展により、見解が分かれることになるでしょう。 今のままであれば判断保留、体細胞なしに円滑に生体産業が運営できるようになれば、『正』になります」
「遺伝子検査により、様々な可能性が出産前に分かるようになりました。 いくら人工子宮が発達し、出産成功率が天然子宮を上回ったとはいえ、まだ天然モノの方が、健児の生産に貢献しています。 ですので、天然子宮の保護を目的とした出生前診断は、道徳的には『正』でしょう」
「代理母という概念は、旧世紀は珍しかったのでしょうが、現代ではまったく珍しくありません。 現に私もそうですし、お前たちも人工子宮産か代理母産ですからね。 自身の遺伝子を備えた胎児を自身の子宮で育てると、過度に神経質になり、出産成功率がコンマ数パーセント低下します。 旧世紀は免疫問題から、自分の子供は自分で出産することが推奨されていましたが、アレルゲン抹消器官の移植が可能になった現代では、そういったメリットはもはや存在しません。 従って代理母については、道徳的な問題は存在しません」
「様々なケースがありますが、すべては『今のところ』です。 こと生命継続においては、技術開発が影響します。 より高度な遺伝子の存続を可能にする場合、お前たちの『子宮』がより価値をもつ場合や、逆に無価値になる場合があります。 そうすればすべての道徳的価値が変動することになりますね。 永遠に価値があるものを夢見るよりも、もっと現実を見るようにしましょう」
――なんということはない。 母体の負担、愛情、品性には、道徳的価値はゼロ。 ただ優秀な遺伝子を残すことに貢献する項目にのみ、道徳がお墨付きを与えてくれるようです。