〜 理科・物理 〜-4
7個目のコラム。 振動を伝えるには振幅よりも長さを調節する必要がある、という実験だ。
異なる長さのタコ糸を、5つの同じ重さの錘に結ぶ。 それらのタコ糸を、等間隔で1本のタコ糸に結んでぶら下げる。 5つの錘がぶら下がったタコ糸を左右の乳首に固く結わえ、乳房を鷲掴んでグプッと左右に押し広げる。 痛みに堪えて乳首を左右に離し、乳首同士を結んだタコ糸がピンと張ったところで実験が始まる。
前傾姿勢をとって握った両手で乳房を揺らす。 丁度該当する振動が起きた時、5つの錘のどれかが動く。 やみくもに動かしたとしても、錘の振動を大きくすることはできない。 乳房の揺れを調節し、狙った錘を動かせるようになったところで実験は成功だといえるらしい。
8個目のコラム。 振幅の大きさが音の大きさ、振動する長さが音の高さをきめるという実験だ。
自分の身体を『モノコード』に見立て、クリップ付ピアノ線で、鼻孔とクリトリスを直結する。 身体を海老ぞりに逸らし、ピアノ線をピンと張る。 イラストでは少女は笑顔で取り組んでいるが、実際に私達が行うとなると、想像を絶する痛みだろう。 そして乳首をピアノ線の様々な場所にあて、空いている手でピアノ線を弾き、音の高さや大きさを観察するというものだった。
次のコラムからは単元がうつり、電気分野の実験だ。
1つ。 両乳房の間に毛糸を挟み、机に立てたエボナイト棒を胸に挟んではげしく擦る。 上下に身体を揺すり、手で乳房を押さつけ、んっんっんっ、リズムをとりながら乳房の根本で扱(しご)きあげる。 そうして静電気を溜めたエボナイト棒の脇に屈み、第2姿勢まで腰を落とす。 ピュッ、勢いを押さえて放尿すれば、尿がエボナイト棒に吸い寄せられるように曲がる様子が確認できる。
2つ。 静電気が液体に影響を与えることが、尿と乳房により再現できると書いてある。
3つ。 今度は床に『ソレノイドコイル』を立て、真上で跨いでがに股をつくる。 コイルの太さピッタリの、太めのエボナイト棒をお尻の穴に差し込んで、キュッ、尻たぶ全体が窄まってエボナイト棒を包むまで締める。 あとはソレノイドコイルの中心めがけ、エボナイト棒を出し入れするのだ。 出し入れを素早く行うため、キュッキュッキュッ、腰を持ち上げてからギュッと止まり、勢いよく腰を落とす。 お尻がコイルにぶつかる寸前でピタっと止め、今度は真上へ一気に引き抜く。 動きを切り替える際にエボナイト棒が抜けそうになるが、そこは鍛えたオケツで堪(こら)えるしかない。
コイルから伸びた豆電球が明滅する。 このエボナイト棒は磁石製なため、電磁誘導によりコイル内で電流が発生したわけだ。 コラムの横には『女性が発電する最も効率的な方法』との補足コメントがあった。 珠のような汗をかき、太すぎるエボナイト棒でパンパンに張った膣を、これでもかとばかりに身体ごと上下させ続ければ、振り続ける間だけ『豆電球を灯すことができる』。 このエネルギー効率こそが、私達――服を纏うことすら許されないメス――の存在価値を如実に示しているといえよう。
他の分野に関しても、読むだけで身体が痛くなる実験コラムが散見した。
例えば万有引力の章では、ケプラーの法則を確認する実験があった。 仰向けに寝そべって腰をうかせ、マングリ返しの姿勢をつくる。 クリトリスの根本にピアノ線を結び、ガラス管を通して真上に伸ばす。 ピアノ線の空いている端に分銅を結び、ガラス管を握って、グルングルンと回転させる。 ガラス管ごしとはいえ、遠心力でクリトリスを引っ張られる感覚は相当なものだろう。 そして勢いよく回転した頃合いを見計らって、マングリ返しの股間を下げ、クリトリスでピアノ線を引っ張るのだ。 ガラス管から伸びた分銅までのピアノ線が短くなり、分銅が回転する軌道が変化する。 その変化はケプラーの法則、すなわち惑星の挙動と合致していた。
或は重心を求める方法も載っていた。 表面がざらざらの銅版を用意し、をピンと張った糸にのせる。 釣り合う線を複数みつけ、線同士を重ねてみる。 交点が段ボール内にあれば、その点こそが重心だ。 クリトリスをその点にあてて銅版を支えれば、ちゃんとクリトリスだけで全重量を受けとめられる。
……。
列挙した内容は、あくまで実験コラムの概略に過ぎない。 実際にコラムを実行するとなれば、やれ姿勢が甘いだ、やれ表情が固いだ、やれ声が漏れただのと、写真に加えて幾つもの指摘が追加を待っているだろう。 そう考えると、どのコラムをとってみても、まさかと思う。 本当に実行できるなんて、とてもじゃないけど思えない。
……それでも、きっと私たちは実行するんだろう。 学園に入学してから、既に信じられないような行為を無数に目にしてきたし、自分たちで取り組みもした。 今更カマトトぶるつもりはないし、そんな余裕も必然もない。 担任の2号教官が課した最初の1週間の難題をこなした私達だ。 今更やってやれないことなんて、何一つ残っていないんだから。