スノードロップ-2
「大丈夫だよ、乱暴に扱うつもりはないからさ…。痛い思いを残すより、気持ちよく乱れてくれたほうが、那由多にはずっとずっと残酷だもんね」
いとも簡単に抱えられて、ソファーに寝かされ、再度唇を塞がれると、
「――っ!」
コックコートのボタンが手際よく素早く外されて、前身衣がはだけた。捲り上げられたシャツ。熱がこもった素肌が冷たい空気に曝されて、瞬時に顔が強張る私に、
「この間の続きだと思って、お互い楽しもうよ、ね?」
そんな佳那汰君の仕打ちのような言葉に、思わず涙がこぼれそうになった。だけど、だけど、
「佳那汰君とはたった一度だよ。これからは、ずっとずっとずっと、那由多と、いつだってずっと」
「那由多とセックスする度に思い出すだろうね。僕とこうして初めてした事をさ。アイツは永遠にこうせいちゃんの二番目。初めてにはなれない。想像だけでいい気分だよ」
勝ち誇った笑顔を見たら、心の中の何かが折れた音が聞こえた気がして、全身の力が抜けてしまった。
(もうダメだ…私…無力だ…)
ぼんやりと見上げた白い天井が、霞んで滲んでいくのが怖くて目を閉じた刹那――。
鍵がかかっているドアノブから、解錠の音と同時に、
「はい、そこまでよ。佳那汰、情けないおイタはもうお仕舞いになさいな」
「――っ!!」
「オー…ナー……」
柔らかで穏やかなその声色は、まるで、天の声を聴いたような気分だった。
安堵で涙が押し寄せる私に、
「バカね…、アンタはほんっとバカ」
オーナーは私に視線を流して、やれやれと笑んだ後、鋭い視線を佳那汰に向けて、
「こんなセコイ事でしか那由多に勝てないのかしら? これがあのgreen stepの看板を背負ってた料理長だなんて、本当に情けないわよね?」
「グ、グリーンステップ…って…あの…グリーンステップ?」
思わぬビッグネームを耳にして、目を見開いてオーナーを凝視すると、
「そうよ。佳那汰は、ウチの店の最強のライバル、かつては翠の至宝と称されてた名店、green stepの料理長だったのよ。先代オーナーが死去してしまった途端、バカ息子が代を受け継いだばかりに、不幸な結果で廃業になってしまったけどね」
一つ、深いため息を吐いて、
「本当に那由多に勝ちたいなら、その料理の腕と実力で正々堂々勝ちなさいな」
「なに言ってるんですか? 僕はまだこの店では新米で――」
「ここではね、実力が全てなのよ。年功序列なんてないの。新米だろうがなんだろうが、関係ないの。コックの力が試されるのが、コック達や私が食べる賄いなのよね」
「そ、そうだったんだ…」
驚きを隠せずに呟いてしまった私に、
「ここに来て以来、賄いはずっと佳那汰でしょ? そして、その賄いを那由多は残さず噛み締めて食べてる。その意味をちゃんと理解しなさいな」
オーナーは私に歩み寄り、着衣の乱れを直して、
「ほんっとアンタって子は。思いだしてごらんなさい。那由多が料理長になる前の事を」
そんな言葉を投げ掛けた。
前の料理長が辞める事になった切っ掛けを思い出そう、記憶の引き出しを漁ったら、
「あっ!! 賄いだ!! 料理長は那由多の作った賄いが美味し過ぎて逆ギレしてお皿を放り投げて!!」
「そうよ。あの逆ギレした時点でね、もう実力は那由多のほうが上だと認めざるを得なかったのよ。だけど、彼は料理長の座に固執して、修練を疎かにし、歪んだ行為に走ったの。だから追い出される形になったわけよ」
オーナーは小さく頷いて、
「料理長になって初めてよね? 那由多があんな真剣な顔で悔しげに賄いを食べるのって」
目を見開き驚く佳那汰君に笑みを向けた。
「いいこと? よくお聞きなさいな。過去は過去。取り戻す事が出来ないし、受けた痛みは易々とは消えないけれど、痛みを知った人間だからこそ、切り開く事が出来る未来があるの。アンタだって、その未来を掴む為に磨かれた素晴らしい武器があるのよ」
力強い言葉だった。
「こんな色気のないちんちくりんなんか構ってないで、更に腕を、武器を磨きなさい。そして、正々堂々那由多を刺して、玉座から引きずり降ろしてあげなさいな。じゃなきゃ、アンタをここに入れた意味がないもの」
…ちんちくりんなんて、酷いよ、オーナー。
「わかりました。オーナーがそう言ってくださるのなら、僕は、もう力を出し惜しみしません。実力で那由多を料理長から引きずり降ろしますので」
そう宣言した佳那汰君の瞳は、真っ直ぐで強くて眩しかった。
「こうせいちゃん、ごめんね。もう二度とこんな事はしないから」
一礼して部屋を出て行った。
気が抜けたら、なんだかまた急に涙が溢れて、震えが止まらなくなってしまった。
「スバル、今日はもう仕事はいいわ。那由多に送るよう伝えるから帰りなさい」
「え…でも…」
「アタシがこうして涙を飲んで気を効かせてあげるんだから、さっさと那由多に処女を捧げて、ちゃんと自信持って女になりなさいよね! ああ、ほんっとアンタってめんどくさいっ!」
「いたっ!!」
オーナに頬をつねられたら、なんだか笑ってしまった。