〜 理科・生物 〜-2
すごいスピードで作業を進める教官についていくのは大変だ。 けれど、私達は解剖の時間が嫌いではなかったように思う。 何故って、自分たちが上手になってゆくことを素直に実感できる時間だったから。 解剖が苦手で終始蒼ざめていたクラスメイトも、次第に手つきが慣れてゆくのがみんなして分かった。
けれど、やっぱりここは学園なのだ。
素直に成長を愉しめるような、そんな甘い時間が続くはずはない。
10回ほどの解剖を経て、私たちが取り組んだ対象は――『ヒト』だった。 私達と変わらない年齢の牝の死体が、生徒1人につき1体割り当てられた。 机に横たわる肢体に触れたとき、怖くて震えて、頭から氷水を浴びせられたように冷たくて、頭の中が真っ白になった。
教官曰く、
『解剖の講義用に用意したD級の牝で、この日のために3日前に処理した』
という。 私は言葉の意味が理解できなかった。 『用意』『処理』……死体を冷やすかどうにかしておいて、私達用に保存していたのだろうか? 年齢が若いのは、たまたま不遇な事故かなにかで、命を落としてしまったためだろうか?
などと考えつつ、私はもっと悍(おぞ)ましい発想を拭えなかった。 つまり、私たちが解剖の練習をするために、わざわざ35名ものヒトが、D級という理由で無造作に命を奪われたのではないだろうか――。
『ヒト』の解剖は、正直あまり覚えていない。 意識して理性をとばさない限り、吐気を堪えて作業するなんて、私には不可能だった。 皮膚を丁寧に剥ぎ、筋組織に添ってメスを入れて――ダメだ、思い出したくない。 あの時にこびりついた匂いや、手に残る生死の狭間を分ける固い感触が、否応なしに蘇ってくるのは本意じゃない。
『ヒト』の解剖は3回あった。
2回目は『解剖の講義用に用意したD級の牝で、労働に適さない月齢に達したもの』だった。 現代牝特有の強化された肌は、老化が始まったとはいえ健在で、斬り損ねたメスでつけてしまった傷などは、解剖が終わったころには跡形もなく消えていた。
3回目は『解剖の講義用に用意した、人工子宮で出産に至ったもの』だった。 現代牝特有の再生力は想像以上に著しく、切除した肝臓が即座に増殖を開始して、解剖が終わるころには切除した断片にすら、再生芽が形成されていた。
決して望んだものじゃないかもしれないが、私達は、みなそれなりに、ヒトを解剖できるようになったと思う。 材料とされたヒトだった物体は、3体ともバラバラになって、最後は袋に詰められる形で実験室から運び去られた。
DNAの分析技術も理科の時間に身についた大切な技術だといえるだろう。
チップを箱につめてスタンバイする。 マイクロピペットにチップを嵌め、規定の試薬を採取し、DNAの断片をつくる。 エッペンに替えてウェルに流し、電気泳動でバンドを確認する。 遠心分離でDNA断片を抽出、大腸菌プラスミドに組み込んでから、サーマルサイクラーでPCRによりDNAを複製する。 複製したDNAをもって、マーカーをつけてターゲットDNAに組み込んでみたり、塩基配列を分析してみたり、発現要素を確認してみたりと様々な応用実験に取り組む。
初めのうちは、実験の成功率が100発100中の教官に対し、私たちは10回に1度成功するかどうかだった。 別に実験中に性感を刺激されているとか、体を拘束されているとか、無理な体勢を取らされているわけではない。 教官は白衣で私達は全裸という違いはあるものの、それが本質的に成功率を左右させるとは思わない。 教官と同じように作業しているつもりでも、微妙なコツを理解していないせいで、私達は失敗に終わるんだろうと思う。
片付けは例によって膣、肛門をフルに活用させられたが、繰り返す実験の中で、最後の実験時には10回に4回は思い通りの結果がだせるようになった。 つまり『ためになる』時間だったのは間違いない。
他にも色々な技術を学んだ。
ウェルや培地の作成方法、アセトンや失活酵素での抽出、培養や分化のコントロール。 どれも生命を扱うために欠かせない基礎だという。 もしも将来先端生物学に関わることが出来たとしたら、ここで学んだことが俄然輝きだすだろう。
技術面で20号教官が要求したのは『スピード』だった。 ゆっくりやって成功したところで、規定の速度に達しなければ研究現場では役に立たないらしい。 正確さは当たり前だ。 不器用な生徒は容赦なく減点されていった。
教官が宣言した、『私の授業で単位を取得できるのはクラスの半分』という台詞も、強(あなが)ち嘘ではないだろう。 得るものがあるかわりに、失うものもあるという……いくつかの意味で本当に『厳しい講義』だと私は思った。