〜わたしの偏執観〜-1
『細雪』などで知られる文豪、谷崎潤一郎さんの文章にこういうひとくだりがあった。
…ある時蠣殻町(かきがらちょう)の伯父の家の二階から、塀の向こうをうかがうと、隣の家にも中庭があって、十五、六になる美しい娘が、縁はな(えんはな=縁側のはしっこ)に靠(もた)れながら長煙管で煙草を吸っていた。それは「お鈴(すう)ちゃん」という近所で評判の娘であったが、……
(『都市情景』より)
日本では、1900年までは喫煙に年齢制限はなかったらしい。だとしても、今の視点で中学生くらいの女の子が煙草を吸っていたら、いやな印象で受けとめられると思う。しかしこの文章で見るかぎり、「お鈴ちゃん」の煙草はイメージダウンにはなっていないようすなのだ。
美術全集などで、女性を描いたさまざまなる名画を見る。だけど西洋の名画において「喫煙具と女性」を描いたものはほとんど見られない。ところが我が国の浮世絵においては、喫煙具を手にした女性はバンバン出てくるのだ。
「若い娘の一服」は「粋」なものだったんだね。
題名は忘れたけど、小津安二郎監督のだいぶ古い映画作品に、若い娘が煙草を吸うのを母親が咎める場面があったな。その頃には女性の喫煙は「みっともない姿」になってたのかな。
また作家、獅子文六さんの昭和初期に発表された「悦ちゃん」という作品の中に、
…タバコは現代女性のタシナミみたいなものだ。外国のトーキー(発声映画)を見ると、みんな喫(の)んでいる。…
なんて部分がある。これだとすでに若い女性がタバコを吸う姿に抵抗が現れてた感じがするね。
もしかしたら「煙管」から「巻き煙草」に変わったことで女性の喫煙に「粋」がなくなったのかな。
「巻き煙草」と言えば石川啄木さんに、こんな短歌があった。
巻煙草口にくわえて
浪(なみ)あらき
磯の夜霧に立ちし女よ
啄木さんの目に「くわえ煙草の女」はどう映ったのかな。
…お粗末さまでございました〜っ。