私日記(SMの始まり) -1
私日記
浜崎が性に目覚めたのは、小学校の高学年であった。生まれ育った町は、市営県営のアパートが乱立した住宅街であった。歩いて、30分もすれば、幼稚園から大学院まであった。当然、大学の近くは、学生の下宿が有り、エッチな本も拾って見る事ができた。
最初に、ムラムラと感じたのは、月間少年誌の『けっこう仮面』であった。そこに、描かれていた少女は手を縛られ、三角木馬に乗せられ、足には錘が括られていた。その周りをバラの花で囲っていた。まだ、性知識も乏しく、何で男根が固くなるかもわからなかった。
中学生になると、夢精が始まった。ごく親しい3人で、勉強会をする事になった。高校は、同じ県立を目指していた。
その中に、下宿屋の息子がいた。茶封筒を出た。今では、死語になった「ピンク映画」と言う雑誌が出て来た。その雑誌には、谷なおみが十字架に磔にされ赤い褌だけで裸であった。私は次のページを開くと江戸時代の拷問みたいな写真が続いた。
取敢えず、勉強に手が付かず、持って来た雑誌を借りて家に帰った。部屋に入り椅子に座り雑誌を見つめた。読んでいると、女の人が男の男根を握っていた。亀頭は、黒く塗り潰されていた。私は私の勃起した男根を握った。握った手を動かしてみた。カリ首に手が当たり変な感覚に陥った。
「あっ」と思うと、射精して勢いで壁や手に精液が付いた。初めてのマスターベーションはこんな形で終わった。けど、まだ収まりがつかずに勃起したままであった。高校までは、こんな状況が続いた。
高校を出ると、都会の大学に進学出来た。バイトは、スタンドで朝7時から8時までと夕方4時から8時までの5時間程度バイトをして、小遣い稼ぎをしていた。初めてのバイト代を持って下宿に戻った。7万円程入っていた。
初給料は、どうしてもビニ本を買った。その当時、ビニ本と呼ばれる雑誌をビニール袋に入れテープで固定したボカシの薄いエロ本があった。私は、三冊のビニ本と、マスターベーションを始めた「ピンク映画」を入れた。見ている間に、映画を見に行きたくなった。今と違って、ビデオやDVDも無い時代で唯一の娯楽であった。
私は、三角公園の映画館に行った。その頃のアイドルがピンク映画に出て、センセイショナルな出来事であった。その映画を見に行った。
暗い映画館の中に一人でいると、広い映画館にも関わらず私の横に座って来るオジサンが居ました。そのオジサンは、スーツの上着を膝に掛けていました。私は、背筋が寒くなり座っている椅子を一つずらすと、オジサンも寄ってきた。その内、オジサンが耳打ちして、
「しゃぶってやるから」と言いました。私は、顔が青ざめて
「嫌です」と言い、トイレに逃げ込んだ。
トイレでは、二つある個室は満員、小便器は、オジサンがチャックから男根を出して扱いて精射していた。トイレは、アンモニア臭いより、精子で漂白剤の匂いが充満していた。
私は、ピンク映画を最後まで映画館で鑑賞した事がなかったが、その後もピンク映画見たさに通った。ゲイやホモと呼ばれるオジサンや発展場を求めて来た人達が悶えている中を映画鑑賞とは行かなかった。
(当時は、ゲイやホモ、オカマと言われていた。オカマのいい奴はシスターボーイと言われ、酷いのは、お化けと呼んでいた記憶がある。今は、クオリティーも高くニューハーフと呼んでも良いと思う。のちになって、ニューハーフヘルスを体験するが、女性とするより逝ってしまう)