宗教としての不倫-1
倫理的に、あるいは論理的に「不倫はいけないもの」と考えるのをやめることが重要だ。
これは考えれば考えるほど「いけないもの」になってしまう。全世界の歴史の中で「不倫は良いよ」と規定している文化も宗教もない。
全世界で禁じているということは「放っておけば皆やってしまう」からではないか?そう考えれば、不倫したいという君の「気持ち」は「全世界的に正しい」ということもできる。
どうすればよいかというと、不倫を宗教としてとらえ、無批判にうけいれることが、楽になる方法だ。
これを乗り越えられないと、ある一定の壁から越えられない。
ほとんどの人はこれに性交いや成功して、不倫ライフを楽しんでいる。
つまり不倫行為をしてしまえば、倫理や論理は吹き飛んでしまい、無批判に受け入れることができるということだ。
一方で、不倫行為をしていない人たちは、「不倫は悪」と決めつけている。
この事実があることは理解しておこう。
なぜなら「非不倫教徒」から見た「不倫教徒」はまるで悪魔のような存在で、信じがたいものだからだ。「非不倫教徒」の社会から「不倫教徒」を抹殺しようとしている。
だが、その中で確実に数を増やしているのが、われら「不倫教徒」なのだ。
もし君が「不倫教徒」になったなら、この「非不倫教徒」から「不倫教徒」を守る防衛戦に参加しなければならない。
決して我々が「不倫教徒」であることを悟られないために、日常的には「非不倫教徒」を装って生活するのはもちろん、「不倫教徒」同士の連絡ですら、相手と同性のふりをしてメールしてみたり、メールはすぐ消してみたり、二人にしか通じない暗号で待ち合わせを約束したり、様々な創意と工夫で防衛線を戦わなければならないのである。
その覚悟はできているか?
君は正パートナーをだまして、ごまかして、不倫相手を守る覚悟ができているか?