〜 国語・基礎 〜-3
パン、パン、パン、パン。
教官の鞭は背中の中央を通っていたため、どうしても普通の姿勢では平手で打つことができない。 上半身をひねり、桃のように染まったお尻を前にねじり、反対の手で連打する。 或は上半身を『く』の字に折り、両手を後ろに反らしてペチペチと叩く。 力の入りにくい体勢とはいえ、緩く叩いたところで肌を赤く染めることはできない。 鞭の痕が判別できなくなるまで自分で自分を苛(さいな)んでこそ、自罰自戒と認められる。
パァン、パァン、パァン。
授業が終わるころには体全体を剥きたての李(すもも)のようにした11番が、教室に入ってくるはずだ。 中途半端な解答をすれば、私達も彼女の二の舞にならざるを得ない。
「12番。 どうぞ」
「はいっ。 申し上げますっ。 殿方は『食後は消化を促すため机に向かう習慣をおもち』なので、机にむかった、ですっ」
立ち上がった12番が、乾いた唇で一息に紡ぐ。
「なるほど。 確かに殿方ならではの習慣、そういったものもあるかもしれません」
フッ。 12番の表情が僅かに緩んだ。 合格の気配を感じたんだろうか。 けれど教官は彼女を座らせはしなかった。 代わりに、
「……ですが、殿方の行動様式を、貴方ごとき牝の分際が慮(おもんばか)ることには抵抗を覚えます。 自戒の意味をお尻で表現してから教室に戻ってらっしゃいな」
鞭で廊下を指し示した。 つまり、自分で自分のお尻を叩き、反省の意図を色で示せというわけだ。 お尻に限定された分だけ、まだ11番よりはマシといえる。
「はいっ。 失礼しますっ」
落胆の色を懸命に隠し、12番が教室をでる。 後ろ手に閉めたドアの向こう側から、
パァン、パンッ、パァン、パンッ。
時に重なり、時に連続して。 2人が打擲する小気味いい響きが続いた。
「それでは13番。 そろそろ、それなりの解答が聞きたいところです」
「はいっ! 申し上げます! 殿方は――」
……それぞれが必死に考えた答えは、悉く『不正解』と認定される。
主語が『私たち』であればまだ考える余地がある。 私達をひたすら貶めることで、半分くらいは正解の判定をいただける。 しかし、主語が『殿方』な場合、まず正解に辿り着けない。 どんなに殿方を尊重しても、逆に私達を卑下してもダメだ。 なぜなら殿方は『優秀』であり、私達の想像の埒外にいる。 ゆえに論理的にいって私達が正解できるはずがない。 それでも答えをもたなくてはいけないので、
「殿方は『かねて考えていた思索が実を結んだところ』なので、机にむかった」
「殿方は『特に理由なく自然に気持ちが机に向かう方』なので、机にむかった」
「殿方は『愚劣な牝と違って思考を纏めることが可能』なので、机にむかった」
などとひねりだしてみるものの、やれ『思索の想像することがおこがましい』だとか『殿方の行動には全て理由がある』だとか、『牝と比べること自体不遜の極み』といわれるのが関の山だ。 正解に辿り着けるかどうかを見れば、『国語基礎』の中でも『穴埋め』は特別に難しい。
……。
語彙力の強化も『表現』の一貫にあたる。 『国語基礎・語彙』では、教官が辞書を引いて指示した単語について、私達と関連付けて説明しなくてはいけない。
例として『鍋』という単語を挙げる。 辞書的には『食物を煮たり、いったり、炒めたりする器』となる。 これを私達流に説明すると、『把手にクリチンポをはさんで扱(しご)きたい衝動を抑えきれなかったり、オケツの穴に嵌めこんでズポズポしたくてたまらない御道具』となる。
『葉巻』であれば、もともとの説明は『良質の煙草の葉を重ね巻きして棒状につくったもの』となる。 これが私達流になると、『さもしいチツマンコを灰皿に使用していただくことを想起するだけで、マンツユが溢れてくる立派な御道具』だ。
教官が引いた単語が『松』であれば、『マツ科・マツ属の常緑高木の総称。 古くから長寿や慶賀をあらわすとして尊ばれている』あたりが妥当だろう。 けれど、私達にとっては『葉の先端はクリチンポの刺激にぴったりで、枝ごとチツマンコに咥えて掻き回せば、樹液とあわさって痒くてたまらず、かきむしることで何度も絶頂できる、マンズリを支えて下さる刺激的な御道具』だ。
どんな名詞でも、私達にとっては『御道具――マスターベーション用の道具――』なのだ。 実際にそうなのかはともかく、私達は何を見ても『おまんこ』を想起する劣情の化身、愚物の極みでなくてはいけない。 自分の発想が歪んでいることを、この時間中証明しつづけなければいけないわけだが、そういう意味で、与えられた名詞をいかに膣や乳首に結びつけるか、邪で性に貪欲な視点に絡めるか、発想の瞬発力が要になる。
国語基礎を通じて、私の思考は変化したと思う。 何を見ても、つい淫らなことに結びつけてしまうようになった。 例えば『机』をみれば、勉強する場所ではなく、股間を擦りつける場所に見えてしまう。 何でもない一節を話すだけで、恥ずかしい光景を連想するようになった。 例えば『今日は天気がいいね』といわれたら、咄嗟に『太陽を浴びてマスターベーションに耽る自分』を想像してしまう。
これは私に限らず、クラス全員に当てはまる気がする。 些細な会話の中で、突然顔を赤らめ、股間をモジモジさせることが増えたのは、お互いあられもない想像を逞しくしていて、そんな自分を恥ずかしく思うからだろう。 まるで頭の中がほのかに色素が沈着した薄桃色、いや、使い込んだ持ち物特有のドドメ色に染まっていくような、そんな感覚がすっかり板についてしまった。