〜 国語・朗読 〜-2
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副読本が扱う題材は、所謂『官能小説』です。 純愛モノもあれば強姦モノもあるし、フェチ的なモノから独白調まで多種多様だ。 中でも調教系は種類が豊富で、監禁系、排泄系、鞭系、縄系と枚挙に暇がない。
「『分厚い胸板に顔をうずめ、体臭を思いきり吸い込む。すう〜〜っ、ふんふん、すは〜〜、ふんふん、くんくん、すう〜〜っ、すは〜〜っ』」
臭いを嗅ぐシーン。 何度も深呼吸しては、浅い吐息に続いて鼻を鳴らす。
「『汗と垢がまじった殿方の香りを嗅ぐだけで、んっ、くちゅくちゅ、ちゅっ、ぷちゅっ、私の股間はすぐに湿ってしまう』」
文中に『くちゅくちゅ』やら『ぬぷっ』やらが登場するたび、右手を股間に這わせてクリトリスを擦る。 強引に高めた性感は膣液を分泌させ、股のビラビラを湿らせる。
擬音の縛りは厳しいけれど、ノーマルな性癖をもつ主人公であればまだマシだ。
「『さあ! もっとお尻を上げなさい!』 お姉さまに操られるように、私は無防備なお尻を晒す。 途端に、パァン、九尾の鞭が振り下ろされた。 『ひいいいい!』」
調教系は数行読むごとに絶叫シーンが挟まる。 そういう時は文章を読みながら思い出す。 授業で激痛を受けながら絶頂したときの、あの痛みだ。 声帯を振り絞って本を片手に泣叫ぶ。 我ながら迫真の演技だ。 少しでも手を抜けば教官が止め、ペナルティと称して首輪に電流を流される。 ただ、流されるのは読み手ではない。 12号教官は30番が嫌いらしく、誰か1人でもトチれば代表して30番が虐めると宣言し、事実そうしてきた。 自分自身に激痛がくるよりも、突然背後で悲痛な絶叫が響くほうが遥かに辛い。 だから文節の1つに対しても全力で取り組む。
「『ビシッ、パァン、パンッ、鞭が連続してお尻をはたく』」
打擲音は、平手で自分のお尻を叩くことで再現する。 擬音にも12号教官のチェックは光っていて、音が小さかったり真剣味がたりなかったりすれば、やはり30番が悲鳴をあげることになる。
一々演出させられるせいで、50分の間に10ページしか進めないこともザラ。 そりゃあそのはずで、ページに登場する『靴に口づけして服従を誓う』『同性の友達と遊び半分でキスをする』『排泄する』といった状況をすべて朗読しながら再現しているのだ。 朗読しているのか公開マスターベーションしているのか、時間の半分が過ぎた頃には分からなくなるが常だった。
副読本は学期ごとに新しい本が与えられる。 2学期、3学期と内容はハードになるらしい。
B29番先輩によると、2学期は『催眠モノ』が多いとのことだ。 催眠でマスターベーションなしに生きていけなくなった主人公が、昼夜を問わず股間をまさぐる話。 催眠で友達の唾を呑まないと喉の渇きが癒えなくなった主人公が、友人の唾が欲しいと懇願し続ける話。 催眠で直腸を見て貰いたくなった恥ずかしがりの主人公が、通りすがりの他人に直腸を見てくれるよう恥を忍んで頼む話。 どれも最低にみっともない話で、読む側も聞かされる側も、恥ずかしさに顔が真っ赤になると聞いた。
3学期は『変態モノ』だそうだ。 例えば『棒をみると股間を擦りつけずにはいられない主人公が、三食を忘れて股間を擦り、昇天する話』だ。 はっきりいって意味がわからない。 台詞も意味不明な喘ぎが連発するという。 『あはんはんっ、棒様におまたシコシコ、ぐりんぽぐりんぽ、もっともっとシコリンチョしちゃうのおん♪』『えいっ、えいっ、えいっ。 シコシコ摩擦でチツマンコぉぉ……ファイアー! あっふあっふ、おっふおっふおっふ♪』 こんな訳が分からない文章を、それでも主人公は楽しんでいるのだから、読むときはニヤニヤとだらしない笑顔をつくり、大きな声で読み上げなければならない。 先輩曰く、脳が蕩けそうになるらしい。 他には『ウンチの匂いを嗅ぐと幸せになる主人公が、いろんなウンチの嗅ぎ比べをする話』もある。 自分で何回も小分けに排泄し、その匂いを嗅いで『う〜ん、ナイススメル。 極上の一本糞ですわ』『この色、艶、香り……未消化のコンニャクがアクセントになって、芸術的まきグソでございます』なんて台詞ばかりを延々続けるという。 そのうち本当にウンチが汚くないように思えてゾッとした、と先輩は言っていた。
週に3回ある国語の時間。 そのうち何回が『朗読』なのかは知らないが、様々なシチュエーションを文章で体験させられるのは間違いない。 現実には過酷すぎる内容でも、小説であれば用意に追体験することが出来る。 時代を超えて、また設定の限界を超えて、作者の意図する世界が次々繰り出される。 どの世界も愛液と淫臭に満ちているし、読み手を愚弄する表現が満載されrている。 そんな世界に浸っていると、ついつい錯覚してしまう。
『学園で、寮で、部活で私達を苛む不条理なんて、実は大したことないんじゃないの?』
そんな訳ないのだけれど。 上には上がいるというか、下には下があるというか。
益体もない考えに気をとられたりしながら、身体全部が忙しい朗読の時間は過ぎてゆく。