〜 社会・倫理 〜-3
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あらゆる生命、自然に仏性を見出すことで徳を養うべしとした仏教、神道。 他人のあるべき姿を望ましい性質で語った孔・孟・荘子。 ヒトの性質を大上段から見下ろすことで、教え諭した時代があった。
いわゆる『多神教』や『諸子百家』の類は、結局思想の種類を無限に増やすばかりで、世界を統一する力にはならない。 あれもいい、これもいい、その意見にも理がある、この意見も道理であるのように謙虚だと、いつまでたっても埒があかない。 それでも『多神教』が主流であれば、旧世紀に行われた3度の大戦は防がれていただろう。
大戦時には存在感を示せなかった謙虚さは、現代を生きる私たちにとって大切な姿勢だ。 『優秀な人物』が言った言葉は、少々矛盾があったとしても、その全てが正しい。 あの言葉も正しいし、この言葉も正しい。 根源に『優秀さ』があれば、すべてを受け入れる。 そうして初めて、真に優秀な人物の手となり足となることができ、世界を回す歯車になれる。
「全員で『諸行無常』を体現しなさい」
「「はいっ!!」」
即座にマスターベーションを開始するCグループ2組。 諸行無常とは、全て常に変化し留まることがない、転じていつでもマンズリすることで煩悩を払い一切皆苦に繋がる教えだ。 数分間自由にマンズリをかかせるも、絶頂許可は与えない。 しばらくして、
「全員で『巧言令色、少なし仁』を体現しなさい」
「「はいっ!!」」
一呼吸置いてから、またマスターベーションが始まる。
「真っ黒になるまでクリチンポを使い込んでます! 申し訳ありません!」
「オケツの皺をピンピンに伸ばして弄ってます! 申し訳ありません!」
「オシッコサーバーの分際でチツマンコほじってます! お許しください!」
孔子曰く『言葉で巧みに責めると肌が赤味を帯び、絶頂したい気持ちが湧いてくる』。
自分自身を罵ることで、より深い絶頂に近づくことができる。
「『無為自然』な姿をみせなさい」
「「はいっ!!」」
老子の思想を仄めかす。 やはりマスターベーションに勤しむ生徒達。 今度は全員が第三姿勢をとり、突きだした腰の中央で光るクリトリスを、呼吸を合わせてしごきはじめる。
「「クリクリ、スコスコ、クリスコスコ! クリクリ、スコスコ、クリスコスコ! クリクリ、スコスコ、クリスコスコ!」」
『道』とは作為の無いありのままのもの。 即ちマスターベーションとは、工夫以前にクリトリスの摩擦というはしたない行為で絶頂を味わってしまうという、情けない自分自身の許しを請い、恥ずかしい姿をさらけだすものだ。 全員がありのままの姿をとり、一糸乱れず掛け声にあわせ、クリトリスをしごきあげる。
「よろしい。 10秒後に絶頂しなさい。 10、9、8、7……」
「「クリクリ、スコスコ、クリスコスコ! クリクリ、スコスコ、クリスコスコ! クリクリ、スコスコ、クリスコスコ!」」
声に艶がまじってくる。 この調子なら、カウントにあわせてほとんどの生徒が首輪を光らせることができるだろう。 早すぎたり遅すぎたりした生徒がいれば、しっかりお灸をすえてから、別の思想で鍛えればいい。
……。
徳と政治を関連付けたマキャベリ、ヒューマニズムをもたらしたエラスムス、科学を徳としたデカルト、公共への奉仕を至上としたルソー、経済にも徳と快楽を絡めたベンサム、ヒトの意識を記述したカント、超人の徳を規定したニーチェ……旧世紀を彩った様々な人物が、様々な指針を世界に提供してきた。 だが、それらはすべて、世界を持続可能な発展に導くものではなかった。
現代を支配する『優秀さ』は、旧世紀がなしえなかった世界の運営を可能にした。 この一点だけをとっても、過去の言論は悉く往時の輝きを失っている。 私達は過去に様々な徳があったことを認識し、産まれる時代によって異なる役割が与えられたことを認めつつ、現代の徳に従わねばならない。
『優秀な人物』に従い、自らをあるべき価値まで貶(おとし)め、この世界を継続させること。 それが私達、優秀でない牝の群れに課された現代の『徳』だ。