〜 社会・倫理 〜-2
……。
知識はやがて誇示する対象になり、論理は弁論で相手を打ち負かす道具になった。 プロタゴラスに端を発したソフィストは、やがて徳を探求し続ける生き方を提唱したソクラテスを生み、真に善いものの存在を論証するプラトンに結実した。 知恵、勇気、節制、正義の4つが、徳の要素として認識されるようになった。 アリストテレス、ゼノン、エピクロスらは徳を様々な角度から取り上げ、現実に適合させていった。
旧世紀にも『徳』はあった。 しかし、仁義礼智のような概念は名ばかりで、実際は他人に厳しく自分に甘い人間の題目に堕ちていた。 俗悪であればあるほど立派な言葉で自分を飾り、他人を誹謗する。 いつしか徳は、それ自体が輝きを失い、唾棄すべきものになっていった。
徳は『優秀』であれば自ずから身に付く。 そうでない私達は、『徳』の概念を言葉で表現することすらおこがましい。 私達には、それぞれの立場に似合った徳が存在する。
「15番。 『いつもマンズリに浸っている』貴方の徳について、簡潔に述べなさい」
「は、はい。 あのっ、えっと、チツマンコに人差し指をひっかけて、親指をオケツの穴に挿して、同時にしごいたら30秒で絶頂できます!」
「それが徳、だと?」
「えっ……あ、そ、それくらい自分の恥ずかしい体にちゃんと向き合って、いつもネトネトしてみっともないクリチンポをおっきおっきさせるよう、いつでもどこでも、無様に変態してます!」
「そうですか。 では、今ここで変態っぷりを晒してみなさい」
「はい! クリクリ、スコスコ、クリスコスコ……クリクリ、スコスコ、クリスコスコ……すこすこ、しこしこ、すこすこ、しこしこ……!」
右手を自分の鼻の穴に突っ込んで真上に引き上げ、左手で膣と肛門を同時にほじる15番。 確かに無様で変態だ。 両手が小刻みに振動し、ピチャピチャと湿った音色が下半身から漏れる。
チラリ。 時計を一瞥する。 5秒、10秒、20秒……。
「んっ、んっ、んっ、んん〜〜っ! じっ、15番、絶頂許可願いまふっ!」
ちょうど30秒。 悲鳴まじりの甲高い声。
「認めます」
「ありがとうございます……! ひゃああ、あふっ、あふっ、あふぅっ!」
ぷしっ、股間から激しく潮を迸らせ、15番は全身を激しく痙攣させた。
……。
自分達より高度な存在を仮定し、自らを代弁者とすることで、他者に対し自らが望む生の指針を広めようとする手法があった。 予言者ムハンマド然り、イスラエルのアブラハム然り、ナザレのイエス然りである。 奇跡や伝説で権威づけられたメッセージは、言葉の内容を都合よく解釈することで、それぞれの時代、地域の要請に応える形で広まっていった。
旧世紀末に起きたキリスト教とイスラム教の争いは、互いの権威を認めていれば生じなかった。唯一神をあがめる思想は、一時的に寛容と協調を示したとしても、同一世界に共存はできない。
現在の『優秀さ』は、選ばれた者だけが手にできる特殊な権威とはいえない。 公平な選別により認められる、検証可能な能力だ。 証明不可能な『神の啓示』と認識可能な『優秀な人物の指示』を比べた時、どちらを優先すべきかは自明といえる。
「『汝右の頬を打たれれば、左の頬をさしだせ』」
バシッ。 マタイによる福音書の一節を読んだところで、手近にいた29番の右乳房をはたく。
「……」
すかさず左乳房を私に向ける29番。 きちんと私の意図を汲んだ行動だ。 右の乳房を叩かれれば、左の乳房をさしださなくてはいけない。 簡単な一節なので、正しく意図を読んで当然なのだが、そうはいっても入学したてのCグループ生にしては上出来だ。 こうやって目上の立場・教員である私の意志を忖度し、従うことで現代の徳が自然に身に付く。
ぎゅむ。 差し出された乳首を全力で捻る。 29番は僅かに頬を引きつらせながら、今度はその場でブリッジをした。 ガバッと開いた股間の頂点に、クリトリスが赤黒くてかっていた。 たしかに私は乳首を捻ったのだから、次はクリトリスを差し出すなら、私の隠喩に適っている。
ぐりっ。 股間をピンヒールで踏みつけてみる。 クリトリスから狙いが外れ、尖った踵が膣に数センチめり込んだ。
「ひぐっ……!」
すぐさま仰向けになり、足首を『ハの字』に開き、ピョコンとお尻をもちあげる。 両手はお尻の割れ目を拡げ、中央にくすんだ菊蕾がぽっかり口を開いている。 膣を踏んでもらったのだから、次は肛門を差し出すというわけだ。 もう一度肛門を踏みつけてあげてもいいが、しかし、この調子で刺激を与え続けていれば、いつまでたっても終わりが来ない。 この辺りが潮時だろう。
「『隣人を自分のように愛しなさい』」
尻を掲げる29番を放置し、隣の列に移って別の一節を口ずさむ。 文字通り『隣の席にいるクラスメイトを、自分が興奮する方法で愛しなさい』という意味なのだが、果たしてちゃんと通じるだろうか?
教室の数か所で、おずおずと向かいあう生徒達の姿があった。