〜 日曜日・後輩 〜-1
〜 29番の日曜日 ・ 後輩 〜
散々な朝食にしてしまった後悔と、断続的にせりあがってくる吐気に苛まれながら、私はB29番先輩について外出した。 日曜日は寮から外に出ることも認められている。 気分転換に外を散歩することには、学園といえども違和感はない。
姿勢は四つん這い。 首輪から伸びるリードをもった先輩についてゆく。 先輩が向かった先は学園で一番大きな第一グラウンドだった。
グラウンドは思ったより土埃があって、顔を地面スレスレにつけて這っていると、すぐに顔じゅうが汗にこびりついた埃でベトベトになった。 顔を地面スレスレにしているのは先輩の指示に伴う私の工夫だ。 ビーグル犬のように常に匂いに敏感になれと言われたので、鼻をふんふんさせるアレンジを加えた四足歩行を試みている。
歩きながら、独り言が耳に入る。
「ペットのポジションで散歩っていうのは、そうするべき理由があるといえばあるし、無いといえばない。 私を愉しませるためにペット役をしていると考えたら、納得がいくでしょうけどね。 だけどペットの世話の一環で散歩をしていると考えたら、わざわざ私に面倒をかけさせてまでペット役に興じていることになるの。 一般にペット、愛玩動物を飼育する理由は、安らぎとか疑似家族であって、世話がしたいからではない。 ということは、貴方が犬として私に従っている現状を、必然的に説明する理屈は存在しない」
明らかに私に呟いているけれど、『ハイ』と『ありがとうございます』しか許されていない上に、今の私は先輩の『犬』だ。 わんわん、と鳴くこともできないため、チラリと見上げては頷いてみる。 私にできる精一杯の相槌のつもり。 では先輩が言っていることが分かるのか、となるとそれは全く別の問題だ。 もはや思考を追いかけることすら諦めている。
「じゃあどうしてかっていうと……私的にしっくりくる表現は『暇つぶし』かな。 他にも『気分』や『なんとなく』や『退屈しのぎ』だとか、色々こじつけられるけど、所詮は『暇つぶし』でしょうね。 普通に散歩するだけなら単調でつまらないから、敢えて犬を命じてみる。 ただの犬じゃ飽きるから、普通より一段階あげたおけつの振り方をさせてみる。 学園っていうところはね、目的に合わせた指導をするってことになっているけど、反面気分でどうにでもなるところなの。 目的なんて『暇つぶし』で十分なんだよ」
グラウンドを抜け、C棟の裏にでる。 ペアをつくって自慰をみせあった第二グラウンドだ。
「やんなっちゃうな。 自分以外の誰かの『暇つぶし』のために、自分自身はどんなことでもしなきゃいけない。 辛いっていうより、あんまり辛すぎるから、一回転して笑えてくるよ。 指導に少しでも理由――理由っていうより、根拠の方がいいかも――があれば、考えて、取り組んで、消化だってできると思う。 でも実際は『暇つぶし』なわけ。 これってどうかな? 誰かの気持ちを考えて動こうとしたところで、多分全然訳が分からなくて、怖いだけだったり、辛いだけだったり、嫌なだけで終わっちゃう。 だって考えて分かる系統じゃない。 どうしたって気まぐれは気まぐれ。 そうでしょう?」
「……ハイ」
何が言いいたいのか、何を言っているのか分からなくても、自然に返事がでる。
「それでも従わないといけないの。 本当にキツいのは、そんな『暇つぶし』に『心の底から従う』ようになるまで、先へは進めないってことよね。 自分がもつ価値を根底からひっくり返して、自分が世界一無意味な存在だって得心がいかなきゃ、絶対出来ないことだと思う。 じゃあそうすればいいだけって話になるんだけど、誰でも頭でっかちになれるって訳でもない。 だから困るし、すごくしんどい。 でも逃げる場所なんてどこにもないから、結局モノ以下に自分を堕とすことが、私にも貴方にも必要になる。 もっともっと堕ちて貰うし、出来ないなら、その時点でゲームオーバー」
「ハイ」
呟く先輩と、頷く私。
そのまま2人してC棟の玄関口を曲がるとショートトラックにでた。 学園初日、ポニーとして行進しながら排泄した、青々とした芝が張られたグラウンドだ。 たった数日前のことなのに、すっかり遠い記憶になっている。
トラックの芝を踏まないよう、グルリと回りながら並んで歩く。
「結局、最後は心の問題になると思う。 まあ、そんな風に思ってる私自身からして、とてもじゃないけど達観なんて出来てないから、偉そうなことは言えないか。 それでもね、『暇つぶし』には『必然がない』ことを理解しようがしまいがで、全力でに付き合ってもらうことになるんだからね……っと。 はい、到着」
トラックを過ぎ、敷地の外れまで歩いたところで先輩は立ち止った。 私も先輩の足許で『お座り』の姿勢をつくる。 そこにはいろんな種類の鉄棒が、広々した砂場に規則正しく並んでいた。
ずっと視線を合わせてくれなかった先輩が、私を見下ろすと、
「とりあえず、砂場をつかった『芸』を見せなさい。 タイトルは『噴水』。 さ、やってみせて」
唐突に告げた。
「えっ……あ……」
咄嗟のことで頭が回らず、返事もできずにまごつく私に、
「『芸』がどんなものか、なんて今更な質問はなし。 説明もしない。 語感で大意くらい掴みなさい。 時間が経てば経つほどハードルがあがるから、ほら、『噴水』ってタイトルまで教えてあげてるんだから、こんなもの勢いでチャッチャとやる」
「は、はい……」
「……」
先輩の眉間に皺が寄る。 ずっと冷静で起伏がないと思っていた先輩が見せる、初めてかもしれないイライラした素振りに、私はゴクリと唾を呑んだ。