〜 日曜日・先輩 〜-2
それから、首輪につけられたリードをひかれて食堂へ行った。 勿論、首輪を引っ張るのが先輩で、犬のように四つん這いになるのが私だ。 お尻の振りが甘いと容赦なく平手で叱られる。 お尻の谷間を真横に向けるため、腰が床に対して垂直になるまで捩じる。 ギリギリまで捩じって尻たぶが真上に来たところで、すぐさま逆方向へ下半身を捻る。 息を切らしながら、メトロノームよろしく左右に大きく尻の谷間をふって、膝をまげずに廊下を這いすすんだ。
食堂に用意されたミールボックスに入っていたのは『フライドチキン』だった。 鶏のもも肉をカラっと揚げたての、特有の薫りが鼻孔をつく。 食欲に訴えるのは香りだけじゃない。 見た目だって、白一辺倒のこれまでの食事とは大違いで、学園について初めて目の当たりにした、脂がのって美味しそうな食事だ。 思わず唾を呑んだ私に、先輩はすかさず『お座り』と告げる。 講義で既に経験済みのポーズだ。 私は爪先を揃えて膝を拡げ、舌をだして両手を股間の床につけた。
『貴方には、こんな御馳走は勿体ない。 新入生のうちから贅沢を覚えたら後がきつくなるし、私が代わりに食べてあげる。 嬉しいでしょう』
そういって、ポカンとなる私を尻眼に、先輩は2人分のボックスを手許に寄せる。 私はといえば、床に手をついて見上げるしかない。 本当に? 冗談抜きで私の分まで先輩が食べるとでも? けれど、私には絶句する自由すら与えられない。 重ねて『嬉しいでしょう?』と尋ねる先輩に、私は棒読みで『ハイ、ありがとうございます』と迎合した。
先輩が唇をテカテカにしながらチキンを頬張る間、私には『ゴミ箱』の役割が与えられた。 食事が進むにつれ、先輩が啄(ついば)むことで肉が離れた小骨がゴミになる。 そんな小骨は、先輩の隣でお座りの姿勢をとりながら口を開いて待つ、私を使って処分しようということだ。
自分がゴミ箱扱いされていることは哀しいけれど、僅かについたタンパク質や、骨に滲みこんだ脂の味は、正直美味しくて有難かった。 口の中の骨が数本のうちは、舌でしゃぶって、味の名残を堪能した。 けれど舌が動かせたのは最初だけで、先輩の食滓が次々口に放り込まれ、あっという間に小骨で口腔が満杯になる。 頬袋を膨らませた栗鼠のように、尖った骨をモゴモゴする私。 限界が近づいて蒼ざめているのに、私の表情に気付く素振りを見せないまま、
『こういうレベルが低い要求は、頭を使わないでも理由くらいわかるでしょう。 私が食事にそそられたから、貴方の分が欲しくなった。 これが全て、他に余計な理由づけなんていらないわ。 なんで私の分をもっていくか、なんて思ってるなら張り倒すよ。 こんなもの、上下関係で納得するしかないからね。 誰だって自分が大事だし、自分と他人を天秤にかけて、自分が美味しい所をさらうものなの。 ここで大事なのは『諦め』で、直ぐに綺麗さっぱり切り替えなさい。 できるわね』
先輩側の理屈を一方的に押しつけてきた。 切り替えろ、ってそんな……これからも私のささやかな期待を奪われるたびに、諦めて従順に振舞えとでも? 実際に食べ物を横取りされただけでこんなに沈んでしまう。 頭では先輩後輩の関係が理解できたとしても、心が言うことを聞いてくれないんじゃなかろうか……。
とはいえ思考する余裕もなかった。 なぜなら次々やってくる骨で、口のキャパシティが尽きてしまった。 どうしよう。 もうこれ以上入らない。 どこか本物のゴミ箱に吐きださないと、と思っても食堂にゴミ箱の影はない。
『ちなみに、ゴミ箱役をさせているのは、チキンの欠片を食べさせてあげるための方便なんかじゃない。 純粋に理由があって、させているの。 つまり、食べ残しを運ぶトレイがね、日曜日だから置いてないでしょう。 だから貴方に責任をもって処分してもらおうと思ってるのよ。 そういう、なんていうかな、私達の意図をちゃんと察したら、次にどうすればいいか分かるでしょう。 骨を捨てるゴミ箱なんてない。 貴方がゴミ箱なの。 貴方が処分するの。 方法なんて1つしか思いつかないんじゃない?』
頭上から落ちてくる淡々とした口調。
『噛まない方がいい。 鳥の骨が折れたらピンピンに尖ってヤバイから。 ちょっとくらい大きくても、そのままいっちゃう方が絶対楽だよ。 消化できなかったとしても、そのままウンチと一緒にでるだけだもの。 どってことないわ。 ここまで言えば、ゴミ箱がどうすればいいかくらいわかるでしょう。さっさとしなさい』
ここに至ってようやく気付く。 私は『ゴミ箱』のフリをさせられているわけじゃなくて、本当に『ゴミ箱』なんだ。 鳥の骨を詰め込まれるだけじゃあきたらず、それを胃袋に納めることまで期待されている――胃液と吐気が込みあげて、目の前の景色が涙で歪んで、そして鼻の奥がツーンとなった。
私に拒否権はない。 まして今日は、先輩に気に入って貰えるか否かの瀬戸際だ。 どんな無茶な期待であっても、私は先輩に従うしかない。 先輩の意を全て汲んでこそ、学園に残ることができる。
……そんなことは、分かっていた。 分かってはいたけれど、結局私はゴミ箱を全うすることは出来なかった。 比較的小さな骨は、一本ずつ舌で喉に運び、クッと空気と一緒に呑み込んだ。 胃袋に進む過程で喉粘膜が軋んだものの、勢いでどうにかクリアできた。 けれど小指ほどの直径をもつ鶏の大腿骨は、何度嚥下を試みても、喉の入口で逆流する。 意志と裏腹に身体が拒絶し、結局私は、それまでに呑んだ骨も含め、盛大にすべて嘔吐した。 突っ伏して激しく体を震わせる私は、先輩が吐瀉物をボックスに包んでどこかへ持ち去るまで、その場にうずくまることしかできなかった。