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何にせよこのままでは大変気マズい。何とか繕おうと思ったが、母親と真希が帰ってきたし、やがて父親が帰ってくると食事中にも関わらず康介の東京行きへ再度難色を示し始めたから、タイミングを失ってしまった。
「彩希、どうするんだ、こんなことになって」
父親の苛々の矛先は彩希へも向いた。確かにセレクションの受験を推したが、合格させたのは自分ではない。康介が実力で勝ち取ったものだ。
「あ、うん……。でも、行かせてあげようよ、せっかく合格したんだし」
しかし、そう言う彩希の言葉は力弱かった。本来なら姉の援護射撃を得て康介も父母の説得を試みるところだったが、事故の一件で二人の間にギクシャクとした空気が流れていたから上手く共同戦線を張ることができなかった。
「高校はどうするんだ? サッカーができなくなったら、中卒になってしまうだろ?」
「……ユースが提携している高校に行く。奨学金が出るよ」
「にしたって、お前、生活費だってかかるだろ。お父さんも調べたら色々要り用だというじゃないか。ウチにはお前以外にも……」
チラリと父親は彩希を見たが、すぐに目線を真希の方へ向け直し、「兄弟がいる」
「寮に入る。なるべく家に迷惑をかけないようにするから……」
彩希は口を挟めなかった。助けてやりたい。だが上手くできない。由香里と電話で話すことでいっとき気を和ませていた彩希だったが、ここへきて全く弟を援護することができない自分が情けなく、あんな軽挙を働いてしまったことが今になって悔やまれた。せめて部屋に入る前にノックを一回していれば……仲良し姉弟、力を合わせて父親を説き伏せられたのに。
結局その日は結論が出なかった。
――翌日バイトを終えて家に帰ると、リビングで康介と両親が言い争っているのが玄関先にまで聞こえてきた。昨日は割と淡々と話していたのに、今日は父親も母親も康介もエキサイトしてしまったのか口論になっていた。
「とにかく、絶対に東京に行くから!」
「なんだと!? お前、そんな勝手な……!」
康介がここまで頑固に我を通そうとするなんて初めてだった。つまりそれだけ、何としてでも叶えたい夢なんだな。彩希はそう思いながら廊下を歩き、リビングのドアを開けた。
「ただいまぁ」
「……彩希!!」
両親がハモった。
「わっ、誰!」
親と兄の激論にも飄々としていた真希が、冷蔵庫からアイスキャンデーを咥えて戻る途中、入口に立つ女を見て仰け反った。
「……お父さん、お母さん、私、家出るね」
彩希はすたすたとダイニングテーブルに向かうと、立ち上がっている三人を尻目に椅子に腰掛けた。「高校の時の友達にユッコっていたじゃん? あの子と一緒に東京に住もうと思って」
彩希は唖然とした父母を見上げて一方的に話し始めた。
「ま、待て、何言ってるんだ、お前……」
「やりたいこと、見つけたの。んと、歯科衛生士になろうと思ってる。お父さん、何かしっかりとした仕事見つけろ、ってずっと言ってたじゃん」
「だから急に……」
「バイトで少しお金を貯めたから、やっていけるよ。ほら、ユッコの家って事情があるじゃん? 東京生活、苦しいんだって。私も東京に行って、同居してあげたらユッコも助かるし。だから、札幌じゃだめなんだよね」
「いや、だからな、彩希……」
「でも、お父さんに助けてもらわなくても大丈夫。東京に行って一人でやってくから仕送りとかいらないよ。約束破ったら、北海道に連れ戻してくれてもいいし、勘当してくれてもいい」
「そうじゃなくて!」
父親はドスンと椅子に腰掛けた。立っていられなくなったのかもしれない。「……なんだ! その頭は!」
やっと彩希へツッコむことができた。
「ああ……これ?」
彩希は伸ばしていた髪をイエローゴールドに染めてしまった。胸元の毛束を掴んで振ってみせ、「決意の表れ? 坊主にするわけにはいかないじゃん?」
そう言って笑ってみせる。
「……彩希、あんた……」
父よりは気丈な筈の母も遂に脱力して椅子に腰掛けた。
「……だからね、康ちゃん、東京に行かせてあげて。お願い」
入れ替わりで彩希は立ち上がり、笑顔を消して背筋を伸ばした。染めたばかりの金髪を真下に垂らして深々と頭を下げる。目を見開いた康介の顔を見ることはできなかった――「私にかかるお金を康ちゃんに使ってあげて。卒業してフラフラしててごめんなさい。その間にかかったお金はちゃんと返します。働いて食べれるようになったら、家に仕送りします」
顔を伏せて話しているうちに、鼻が詰まってきた。