青い涙-1
“誰とでも寝る女”
黒いマジックペンでわたしの机に書かれていた。一学期の最終日。
誘われたからついて行った中野くんは宮永さんの彼氏だったらしい。
休みがちな上に同じクラスに友達なんていないから、そんなこと知らなかった。
野球部の土屋先輩が体育祭の予行練習中にふざけてわたしにキスをした日から、同じクラスの女子たちがわたしに敵意を向けるようになった。
先輩は誰もいないわたしの家に何度も泊まりにきた。
先輩はガタイはいいけどセックスが下手だった。
大学受験に向けて塾へ行く日数を増やしたらしく、最近は泊まりに来ない。
先輩が来ないから、誘われるまま中野くんとホテルに行った。
誰でもよかった。
誰もいない家にひとりでいるよりは、誰でもいいからわたしの名前を呼んでくれるひとといたかった。
スマートフォンが鳴っている。
珍しく、母親からだった。
最近好きになったバンドのライブに行く用意をしていたわたしは、チークをのせる手を止めて電話に出た。
「なに? どうしたの?」
──まゆり、今どこ?
「家よ」
──あのねえ、レイちゃんの友達があんたに会いたいって言ってんのよ。
「ごめん、今から出かけるの」
──あら、そうなの。残念ね。そのひとお金持ちらしいわよ。あんたの写真見て気に入ったらしいわ。
「写真って、何の?」
──レイちゃんがごはんに連れて行ってくれたことがあったでしょ。夜景が綺麗に見えるところの。そのときに、あんたとあたしを撮ってくれたやつよ。
「あぁ、あのときの。勝手に他人に見せないでよ」
──いいじゃない。減るもんじゃないし。まぁ気が向いたら会ってあげてよ。レイちゃんの株もあがりそうだしさ。
「そのうちね。時間ないから切るわよ」
──はいはい。あ、そうだ。そろそろ夏休みよね? 制服と一緒に、そっちに置いてあるあたしのコートもクリーニングに出しておいて。お金はテキトーにおろしていいから。
「はぁい」
母親は滅多にこの家には帰らない。
レイちゃん──母の恋人の家にふたりで住んでいて、衣替えのときにコートを置きに帰ったりわたしの高校の書類に目を通したりするくらいだ。
わたしが小学生の頃はまだ、たびたび外泊することはあっても一緒に生活をしていた。
中二の秋だったかな。母親がレイちゃんと住むからと言って通帳とカードを置いて出て行ったのは。
わたしはスマートフォンを鞄に突っ込んでイヤホンを耳に、家を出た。
お気に入りの曲が流れる。『螺旋』という、ミディアムバラード。
静かなピアノの旋律を追いかけるように、重々しいベース音が響く。
甘く切なげな歌声。
このバラードはCDのジャケットと歌詞がリンクしていて、そのジャケットもとても気に入っている。
群青色とか藍色に重なった、海のように深い青や雨に濡れそぼった紫陽花のような紫がかったくすんだ青色に、真っ白ではない白色の──たとえば葫蘆の鍋のような──模様たちがまるで次々と川を流れていくように描かれたジャケット。
CDの上方斜めからレースがかけられているように描かれていて、それから蝶々や魚、今にも折れてしまいそうなか細い手、無数の気泡……繋がるように続いていく。
誰もいない部屋の中でぼんやりとそのジャケットを眺めながら『螺旋』を聞いていると、不思議と静かな気持ちになれた。
ひとりぼっちでも、自分のためだけだとしても、家事をこなすことができた。
今日はこれからそのバンドのライブに行く。