2話 自分勝手-3
その日の晩、勇樹はまた果梨という女性に平手打ちを喰らった時のことを思い出していた。
あれは1ヶ月程前のことだった。
以前、勇樹と晴菜は公園の入り口近くのベンチにいた。
晴菜と付き合ってから、いつも部活の帰りにその場所により、ただ雑談などをしていた日々もあった。
二人が付き合っていく日々が長くなるにつれて、お互いは手を繋ぎ、寒い冬空の下だからだろうか、お互い抱きしめあったりして、二人は互いにファーストキスを経験した。
愛の言葉を言い合って、キスをしている感覚は、当時流行っていた携帯小説の中に出てくる相思相愛の学生カップルの真似事をしているような気分に浸ることができ、少なくとも勇樹の中では、本物の相思相愛のカップルの形である気がしていた。
ある時、二人はいつものように抱き合っていると、クラクションを2回鳴らす車に遭遇した。
勇樹は気にせず、晴菜とのディープキスを続けていたが、晴菜は道路側に目をやると、それが知り合いであるらしく、その車へと駆けていった。
車の窓が空き、女性と晴菜がなにやら会話していると思っていると、晴菜がこちらへ戻ってきた。
「弟のテニスの先生が、私を家まで送ってくれるって言ってるから、今日はもう帰らなきゃ…ごめんね。」
晴菜は申し訳なさそうに勇樹に話した。
「行っちゃうの?離れたくないな…。」
と、勇樹は晴菜を抱きしめる。
「また明日も会えるから、許してね。」
勇樹はその晴菜の表情が愛おしく感じたのか別れのキスを晴菜とした。
別に、別れのキスは普段から行っていることだったので、特別というわけではなかった。
すると、車のドアが開いて晴菜と話していた先ほどの女性がこちらへ向かってくる。
その女性は、ショートカットの髪に、白いピーコートを着ていた。
「果梨ちゃんごめんね、もう行くから…。じゃあね、勇樹」
晴菜は果梨ちゃんと呼ぶ女性のもとへと歩いていった。
果梨、と呼ばれる女性は晴菜に一言何かを話したと思うと、晴菜は車の方へ向かっていった。
そして果梨と呼ばれる女性は、勇樹の前で立ち止まり、口を開いた。
「こんばんは。君、晴菜の彼氏くん?」
口元は笑っているが、細めてこちらを見つめる瞳は、どこか怒っているような違和感を感じた。
そして、すぐに勇樹はその違和感が気のせいではなかったことを思い知ったのだ。
「こんばんは、勇樹と言います。晴菜さんとお付き合いしています…。」
目を合わせると、プレッシャーを感じるため、勇樹は俯き気味で果梨と会話を始めた。
「私、俊史のテニスコーチなんだけど…。あっ、俊史ってのは晴菜の弟ね。俊史と晴菜の両親から、私たちのいないところでは、私が代わりに厳しくするように言われてるからさ…、こういうことするけど…。」
勇樹の頬に突然痛みが走り、勇樹の頭の中で状況を把握するのにはわずかな時間を要した。
そして、勇樹はコンマ数秒というくらいであろうか。
自身がこの果梨という女性に平手打ちを喰らったということを認識できた。
冬の寒さで冷えた頬に喰らった平手打ちは、鈍い痛みとなって伝わってくる。
「勇樹くん…だっけ?私、晴菜と勇樹君があんなふうに抱き合ったりしてるところを見るの、今日が初めてじゃないんだ。」
「えっ…?」
勇樹は果梨の車の方に目を向け、同じ車が通りかかったことがあるかどうか、思い出そうとしていると、果梨の言葉で自分の意識がこちらに戻る。
「最初は晴菜だなんて気づかなかった。でも今日、晴菜を迎えに来てようやく分かった。こんな公共の場所で、人が見ていることを気にもせず、キスしたり、抱き合ったり、この子たち恥ずかしくないのかなって。晴菜はそんな恥ずかしいことしたりするような子じゃないって信じたかったけど、今日分かっちゃったんだよね。」
勇樹は、まずこの人が家族ではなくてよかったと頭の中で安心した。自分たちの仲を、これが原因で引き裂かれるようなことをする権利がこの女性にはない、と安堵する気持ちであった。
それが分かった以上、次は人目のつかない場所を新たに探さないとな、と考え始めていた。
「晴菜の保護者を任されている以上、言わせてもらうけど、ここは晴菜の家からも近いし、他の親御さんとかに見られて、君が恥をかくのは構わないけど、晴菜に恥をかかせないで。晴菜のご両親が君のせいで馬鹿親って思われたりしても仕方ないんだよ?晴菜は、礼儀正しく、厳しく躾られてきたから、女としての品格を下げる行為は、これからはもうやめてね。別に、これが原因で別れろとか言わないし、キスしちゃだめとか言う権利もないけど…中学生らしく、節度を持った行動をしてね。」
勇樹は長い説教が終わったと内心思ってから、「はい。すみませんでした。今後このようなことはもうしません。だから、晴菜さんと今まで通り付き合いたいです。」
と懇願するような演技を見せれば、大人は納得するだろうと反省した態度を示した。
「分かったら、次から気を付けてね。今度見つけたら、晴菜のご両親にも言わなくちゃいけなくなるから。そうなったら、君も晴菜と付き合い辛くなっちゃうよ。」
「はい、すみません。」
「じゃ、私は行くね。君も気を付けて帰ってね。」
そう言うと、最初に感じた違和感のある微笑みとはかけ離れた、素の微笑みを見せ、果梨という女性は車へ去って行った。