そして、本番-6
ずっと俯いていた田所さんの唇が、微かに震えているじゃないか。
いやいや、よく見りゃ顔だって青くなっているし、何よりその瞳はうるうる潤んで、今にも涙が零れ落ちそうじゃないか。
「田所様……」
「大丈夫ですってば!」
何も言ってないのに、若干強い口調で返す彼女。
そして、無理矢理見せる笑顔。
「止めるなら、今ですよ」
「止めません! 処女なんてお荷物以外の何者でもないんだし、さっさと捨ててせいせいしたいんです」
……そこまでして捨てたいものなのか。
彼女の視線から逃れるように、傳田の方を向くけれど。
彼女は下唇を噛みながら、黙って首を横に振るだけだった。
ちくしょう、俺の作戦は失敗か?
「さあ、早く始めましょう」
キュッと口を結んだ彼女は、まっすぐ俺を見つめて、頷いた。
チラリと視界に入った掛け時計は、午前10時を回ったところ。
仕方ない。もう、タイムリミットだ。
田所さんがそこまで覚悟を決めているのなら、俺も腹をくくるしかない。
フウッと天井を仰いでから、俺は気心の知れたスタッフを順繰りに眺めていた。
普段はおちゃらけてばかりのこいつらだけど、すでに仕事モードのいっぱしの顔つきで、こちらを見守っている。
よし、ならばやるしかねえ。
最後に傳田を見ると、彼女は小さく頷いて自分の腕時計を眺めてから、メガホンとカチンコを手に取った。
「まもなく本番入ります」
メガホン越しのくぐもった傳田の声が、スタジオに響く。
普段は監督は俺が務めるのだが、アクターとして入る場合は、傳田が務めることになっている。
監督が変われば、作品の色合いも変わるようで、俺が監督をした時の作品に比べてなんとなくオシャレで女性向けなそれが出来上がる。
田所さんなら、きっと傳田監督の作品を気に入ってくれるだろう。
そして俺は、いよいよ田所さんの真っ正面にまわった。
照明に照らされた田所さんの肌は、陶器のように滑らかで白くて、儚かった。
相変わらずその大きな瞳は潤んで泣きそうになっているけど、これ以上は「待って」いられない。
ならばせめて、ロストバージンを最高に美しい形で残してやろう。
俺に任せて。そう心の中で呟きながらウインクを一つ。
「はい本番5秒前、4、3……」
傳田のカウントする声が小さくなり、そしてカチンコの拍子木が高らかに鳴り響いた――。