J-14
(仲違いしたままじゃ、結局は子供逹の迷惑になっちゃうわ……)
多感な頃から、数々の論争を交わす様になっていたが、それでも、雛子にとって三朗は、尊敬の対象で有る事に些かの揺るぎも無く、掛けられる助言は、有難い“訓辞”だと捉えていた。
「ごめん下さい。河野さん」
漸く、雛子の気持ちが鎮まりを見せた頃、聞き覚えのある声が、玄関の方からした。
「あっ!吉岡さんだわ」
吉岡の声だと気付いた瞬間、雛子は、心の中で「しまった!」と叫んでいた。
調査を終えたその足で、家に寄って来られたのだ。
(どうしよう……何の準備もして無い)
作業を労い、今夜も夕食と風呂をと考えていた。が、余りに林田の件を引き摺り過ぎた為、肝心の事が頭の中から消えていた。
(困ったわ。どうしたら……)
雛子は焦る──。これから準備しても、全てが整う迄、優に一時間は掛かってしまう。無論、そんな長時間、お客様を待たせるのは論外だ。
然りとて、夕飯の材料となる食材は、殆ど皆無である。
「ごめん下さ〜い!河野さ〜ん」
「いっけない!は〜いッ」
今は、思案を繰り返している暇は無い。雛子は一旦、思考を打ち切ると、大慌てで玄関へ向かった。
「すみません!遅く……」
慌てて玄関を開け、詫びを入れようとした、その時、雛子は絶句したまま凍り付いた。
吉岡の背後に、あの人懐っこい青瓢箪面を見たからだ。
「いやあ、今日は結構、暑かったですねえ」
吉岡は帽子を取って、明るく会釈する。雛子の変化に、気付いていない様だ。
「……」
「河野さん?どうか、されましたか」
何時も、愛想の良い雛子が会釈を交わさない事により、漸く吉岡も異変に気付く。
「あの、河野さん?」
「えっ?あっ!あっ、す、すみません!」
雛子は、自分の顔が熱って行くのを感じた。
林田への呪縛が強過ぎて、吉岡に対して、おざなりになってしまった。
「どこか、お身体が優れないのですか?」
「い、いえ!ち、ちょっと惚けてしまって……」
「それなら良いのですが。学校の先生も、体力が要る職業と聞き及びますからね。況してや今後は……」
「よ、吉岡さん!」
雛子は、慌てて吉岡の口を塞ごうとする。林田の存在を忘れて、うっかり口を滑らせようとした為だ。
「あっ!ああ……これは失敬」
「なんですか?二人共こそこそして。僕にも教えて下さいよ」
二人のやり取りを傍観していた林田が、我慢出来無くなって、会話に割って入って来た。
「貴方には関係あ・り・ま・せ・ん。お帰り下さい」
そんな林田を、雛子は、冷徹な態度であしらう。
ほんのさっき迄“和解する”と決めていた筈なのに、青瓢箪面を目の当たりにした途端、又、怒りがぶり返したのだ。