J-12
「今日は、ずいぶんと優しいんですね?」
「えっ?」
「だって……何時もなら、私を茶化したりするのに」
だから雛子も、何時に無く意地悪が口を付く。
「そんな事しませんよ!」
林田は、両手を振って大袈裟に否定した。
「──子供の事で貴女を茶化したりしたら、それこそ二度と口を利いてくれ無くなる。
私だって、その位の分別は弁えてるつもりです」
これも、何時に無い殊勝な心掛け。雛子は、悪戯っぽい眼差しを林田に向けた。
「本当かしら?」
「勿論ですよ!さあ、引き揚げましょう」
誰も居なくなった教室を、林田が先に、雛子が後を付いて行く。背中を見つめる、その顔には先程までの曇りは消え、何処か嬉しそうだ。
「──ところで雛子先生」
職員室までの道すがら、林田が声を掛けた。
「何ですか?」
「今日の水着。雛子先生も如何です?」
「はあ!?」
余りの、突拍子も無い問い掛けに、雛子は思わず、声が裏返えりそうになる。
林田は、にやにやと含み笑いを浮かべたまま、更に追い打ちを掛けた。
「昨日、抱きしめて貰った時、結構な物をお持ちだなって。だから……!」
だが、全てを言い終わらぬ内に、雛子の右の平手が林田の横面に炸裂した。
「痛ってえ!」
林田は打たれた左頬を手で押さえ、雛子の方に目をやった。
鬼の形相で拳を固く握し締めて、両肩が小刻みに震えている。
「あ、貴方って人は……せっかく見直したと思ったのに、不謹慎です!」
怒り心頭に発すとは、正にこの事だろう。雛子は、林田を激しく謗ると顔を背けて、大股で職員室へと向かい出した。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
「もう知りません!付いて来ないで」
「そんな!言い過ぎたのは謝りますから」
「要りません!もう私に付き纏わないでっ」
必死に謝り続ける林田だが、取り付く島もない──。彼の“一言多い性格”も禍だが、“生真面目過ぎる”雛子の性格も、この際、騒動の一端を担っている模様だ。
「ねえ、雛子先生ってば!」
「うるさい!知りません!」
夕日に染まった放課後の廊下に、二人の場違いな声だけが、響き渡っていた。