J-11
「考え事って、授業の事でしょう?」
「えっ!?」
逆に、雛子の方が、林田の炯眼さに驚かされてしまった。
「やだなあ。私だって、この学級の副担任ですよ。授業に付いて来れない生徒で悩んでいる事位、お見通しですよ」
思わず絶句する雛子──。授業の傍ら、ちゃんと子供逹の態度を注視していたとは、伊達に私より、経歴が長い訳では無い。
「私としては、何とかしてあげたいんですけど……」
「それなら、良い考えがあります」
思い悩む雛子とは対照的に、林田は事もなげに答えを導いた。
「もうすぐ夏休みでしょう。その期間中に、補習を行うのはどうです?」
「それは、私も真っ先に思いました。でも、夏休みは子供逹も忙しいはずですし……」
夏休みと言う、長期に渡って学校が休みとなる制度は、百姓農家にとって、我が子に、終日に渡って用事を任せられる事を意味し、とても有難い制度であった。
特に夏場は、雑草の成長が著しい。田圃は三日と置かず、田の草刈りに追われる。そんな繁期、子供と言えども手伝うのは当たり前の事なのだ。
その辺りの諸事を知る雛子だからこそ、補習と称して子供逹を連れ出せば、その分、家族に更なる負担を強いるのは明々白々だと判っている。それ故に、思案投げ首の心境だった。
が、しかし──。
「それは説得する以外、ないんじゃないですか?」
林田は、雛子が見せる消極さが気に入らない様で、再び、説得しようとする。
「──親御さんの家に赴き、何故、補習が必要なのかを納得されるまで、懇々と説明する以外、妙案は無いと私は思います」
「そうですよね……」
提言通り、正攻法が最良なのか?──。説得は必要と思うが、結果として親御さんは、「我が子は補習が必要な程、勉強が疎か」だと知る事となり、これが、禍の種と成りはしまいか。
例えば、子供が、厳しい説教に遇うかも知れない。
しかし、叱られるだけなら未だ、ましだ。
最悪の場合、親御さんが“百姓に学問は不要”という慣習を持ち出して、我が子を学校に行かせ無くなるのではないか。
(それでは、いくら何でも本末転倒になってしまう……)
かと言って、これ以上、頭を巡らせようとも、更なる妙案が思い浮かぶ訳でも無く、結局、林田の案に帰着してしまう。
答えの出せぬまま悶々とする雛子に、林田は、意外とも取れる言葉を発した。
「大丈夫ですよ。説得には、私も当たらせて貰いますから」
「えっ!?林田先生が」
「当然でしょう。同じ担任として、私にも責任の一端は有るんですから」
そう言うと、また人懐っこい笑みを雛子に向けた。
何時にない誠実な言葉。雛子は一種、頼もしさの様な物を感じ取った。が、それが何とも、奇怪に思えて仕方がない。